地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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蓮光寺への立ち寄り②~吾妻山地名伝承にかかわって②

 案内板では、境内の施設が次のように紹介されている。
 経蔵、観音堂の建立は明和3年(1766)でここの床下から一字一石の経石も発見されている。江戸時代信達ニ郡で一切経を所蔵している寺は当寺の外一寺にすぎなかった。太子堂は「15世報上良瑞天保7年霜月建立とあり、当地方には数少ない層塔で昭和57年修復完成した。

a0087378_5591745.jpg 撮った写真を眺めると、散歩中に眼がいったのは「太子堂」の方であることが分かる。下調べをしないで散歩に出かけているので、撮った写真でその時の視点を思い出している。
 勇猛和尚がかかわるのは「経蔵」と「観音堂」らしいので、散歩の目的からすると、左手の蔵に焦点を当てるべきだったのかな。多分、こちらが「経蔵」のイメージかな。
 「信達一統志」では、「一切経堂」について次のように記す。
 「一切経堂」
 「庫裏の東にあり 七千余巻存せり 勇猛法師寄進 信達群中にこの経を納めたるハ当寺と福島常光寺のミなり 実にありかたきことともなり」
 実にありかたきこととして、七千余巻の一切経を所蔵することが紹介される。これが勇猛和尚が寄進したものであるようだ。案内板では、一切経を所蔵について「当寺の外一寺」としているが、これが福島常光寺であることが分かる。
 「信達一統志」では、他に法華経の妙音菩薩のお堂である「妙音(天女)堂」が境内にあると紹介される。これが案内板にある「観音堂」かな。見当たらない。
a0087378_613988.jpg どうでもいいことで気になっているのが、太子堂の建物が「15世報上良瑞天保7年霜月建立」との記載。
 気になるきっかけがこちらの石塔で、読み取れるところを繋ぐと第8世「性蓮社戒誉良範上人心阿慧達覚乗大和尚」とかかわる。その第8世「性蓮社戒誉良範上人心阿慧達覚乗大和尚」を確かめてみると亡くなるのが天保15年(1844)5月9日らしい。ということは、天保7年時点では御存命ということのようなのだ。
 ならば、この時点で第8世~15世まで御存命である中で、15世報上良瑞が建立ということか。その意味が理解できていないということ。
by shingen1948 | 2015-05-23 06:04 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)