地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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蓮光寺への立ち寄り~吾妻山地名伝承にかかわって

 東屋沼神社にかかわる散策の中で、吾妻山にかかわる地名のうち「一切経山」「浄土平」地名発祥にかかわって「勇猛和尚」という方の名を聞いた。
 この方が、天候不順の年、吾妻山に登り、一字一石の経塚を築き祈祷して法力を示したとのことだが、これが「一切経山」「浄土平」地名発祥とかかわるということのようなのだ。
 この方がこの蓮光寺の中興開基者らしいとの事で立ち寄ってみた。この寺には何度も立ち寄っているが、吾妻山地名伝承にかかわって立ち寄ってみたのは、写真で確かめると昨年8月29日だったようだ。

 寺前に建つ案内板の中で、この「勇猛和尚」については、次のように説明される。
 勇猛和尚は願主中興開基で、宝暦5年(1755)大本山増上寺から寺号を、安永6年(1777)芝の増上寺から(霊應大増正)山号を総本山知恩院から(教應大増正)院号を許され「光明山摂取院蓮光寺」と称した。扁額は増上寺大増霊應の書である。
 勇猛和尚は天侯不順の年、吾妻山に登り1字1石の経塚を築き祈祷して法力を示し「一切経山」「浄土平」地名発祥のもとになったと伝えられる。又、信達霊場を巡遊してその土を集め「土大仏」を作り、更に6尺の青銅大仏を造立し、種々奇特をあらわし、人々はその功徳を尊信し近世の名僧といわれ大本山増上寺の席次に連なり良弘上人と称し帰郷して蓮光寺中興開基となった。
 天明2年(1782)7月28日66歳で還化されている。
 墓碑「開基汯蓮社良広上人不輟勇猛和尚」
a0087378_958560.jpg 「吾妻山に登り1字1石の経塚を築き祈祷して法力を示し」とあるが、もう一つ、この方が「信達霊場を巡遊してその土を集め「土大仏」を作」ったとある。

 寺の後ろにあるこの土の山が、その「土大仏」痕跡かなと思った。というのは、この右手に建つ朽ちた案内柱に「由来 土分を集めて大○の大仏を建立し○れる○○なり」という部分が読めた事だ。
 「信達一統志」では、「下大笹生邨」の「光明山蓮光寺」の項に、「土大仏・銅仏」について以下のように説明する。
 「土大仏・銅仏」
 寺の後にあり 勇猛法師群中より土粉を集め作立しなり 銅仏ハ座像なり 寺の前にあり 是も勇猛法師が建立なり
 「寺の後にあり」ということで、矛盾しない。この土大仏は明治の大嵐で破壊しているとのことだ。
by shingen1948 | 2015-05-22 09:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)