地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「信夫の里の独国和尚」

 先に整理した「信夫の里の狐達」の「御山の御坊狐」の話が、川寒(がさぶ)で展開されることとのかかわりで独国和尚にふれ、「信夫の里の独国和尚」として整理した。
 「信夫の里の独国和尚①」では、その五台独国という方は、金福寺に住した信夫の里では名僧とされた方であることの紹介を整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17454015/
 しかし、この和尚が「御山の御坊狐」のイメージと重なるのはそれだけではなかった。
 「信夫の里の独国和尚⑤」では、女川町(宮城県)の情報をもとに、この「独国和尚」は、山を修行の場とする修験者で、信仰のある山に深く関わることで行者名が伝えられた方らしいと言う事から、信夫山の修験とかかわり深い方なのではないかと、想像を膨らませてみた。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17478580/
 川寒の「金福寺」は、一禅僧一代限りの禅寺とのかかわりで、独国和尚の墓塔のほとり(頭)や敷地内に小さなお堂を建ててその墓を守るという感覚の名残なのではないかとの想像を膨らませた。そのことについて、「信夫の里の独国和尚⑤」で整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17478580/
 ならば、「信夫の里の独国和尚②」で確認した「独国和尚碑」が大切なのだと思うが、この時点では、その碑がまだ見つかっていなかったのだ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17463362/
a0087378_1925270.jpg 今回の散歩中、隣の畑で仕事をしている方に出会ったので、その「独国和尚碑」の所在を聞いてみた。残念ながら知らないとのことだったが、近隣の詳しい方を教えていただき、また、地蔵前の石塔群は、震災後に整備し直したものと教えていただいた。それで、その石塔群を写しておいたが、今のところ「独国和尚碑」はみつかっていない。

 〇 「信夫の里の独国和尚①」
 五台独国という方は、金福寺に住した信夫の里では名僧とされた方であることの紹介を整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17454015/
 〇 「信夫の里の独国和尚②」
 「独国和尚碑」を確認した。諸処の情報から墓碑ではないのかなと思うが、この時点では、その碑がまだ見つかっていなかったのだ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17463362/
 〇 「信夫の里の独国和尚③」
 その独国和尚の活躍の場は信夫の里が中心のようだが、「差塩良々堂三十三観音」といういわき地方の散歩情報にも登場する事の確認をした。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17468266/
 〇  「信夫の里の独国和尚④」
 金福寺地蔵堂の北側の石塔の風景が、和尚の教えとされる三十三観音とかかわるらしい事の整理をした。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17473390/
 〇 「信夫の里の独国和尚⑤」
 女川町(宮城県)の情報をもとに、この「独国和尚」は、山を修行の場とする修験者で、信仰のある山に深く関わることで行者名が伝えられた方らしいと言う事から、信夫山の修験とかかわり深い方なのではないかと、想像を膨らませてみた。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17478580/
 〇 「信夫の里の独国和尚⑥」
 「金福寺地蔵堂」は、一禅僧一代限りの禅寺とのかかわりで、独国和尚の墓塔のほとり(頭)や敷地内に小さなお堂を建ててその墓を守るという感覚の名残なのではないかとの想像を膨らませた。
 また、女川町(宮城県)の情報からこの近隣のエピソードを拾って散歩してみたことにふれた。その1として、「沢又邑に於ける独国和尚」を整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17483732/
 〇 「信夫の里の独国和尚⑦」
 エピソードのその2として、「常光寺」とのかかわりを整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17489069/
by shingen1948 | 2015-05-20 19:06 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)