「東屋沼神社」⑧
2015年 05月 14日
ここでいう里道は、東西に山裾を走る道筋なのか、「歴史地図【半沢光夫】」の「平田地区の開拓をみるフィールドワーク地図」に「山王道」と記される道筋なのかは今のところ分からない。
ただ、「大森城裏口付近を散歩して」で整理した山田村の村社である天神社やその別当寺だった「「龍音寺」、更には、この村の開拓者にかかわる寺「好国寺」などはこの山王道の先にあって、中心的な施設はこちらの道筋に沿っているようにも思う。
http://kazenoshin.exblog.jp/13989115/
ここで、山田村の開拓者長尾久右衛門を整理しているのだが、この時点で開拓される新田がどこなのかの確認をしていない。
この寛永7年(1630)の山田村開拓は、米沢藩が、慶長6年(1601)に徳川家康により会津120万石から米沢30万石に減封されたこととのかかわりで、当然新田開発が伴うはずなのだ。
まだ確認できていないのだが、そのことと今回の「東屋沼神社」が似合う風景を求めて確認した地域が重なるのではないかなと今のところ勝手に思っている。
長尾氏の開拓地は、福島市史の延享4年(1747)「山田村明細帳」の項で確認できるとの事なので、集中力27分しかない座学不得意者だが、いつかは確認しておきたいとは思う。
なお、先に城山散歩とのかかわりで、地域的に「大森」として整理している以下の「城裏口の石造供養塔(板碑)」や「奈良輪家旧地」なども行政的な境界でみれば、この山田村に属している。
〇 城裏口の石造供養塔(板碑)~大森城付近
http://kazenoshin.exblog.jp/13951215/
〇 旧奈良輪家
http://kazenoshin.exblog.jp/13970982/
〇 奈良輪家旧地推測~大森城裏口付近
http://kazenoshin.exblog.jp/13964584/