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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「東屋沼神社」⑥~高倉山②「福島市の花咲山」

 今回は、「東屋沼神社」の風景という視点からは外れるが、「福島市の花咲山」のキャッチフレーズにふれるのは高倉山に導かれたこととのかかわりだ。
 今回、高倉山へ立ち寄ったきっかけになったのは、案内板があちこちに建っていたこと。
「東屋沼神社」⑥~高倉山②「福島市の花咲山」_a0087378_5172571.jpg 時期は逃したが、山に登る途中に、花桃の木が並び、山頂近くの平場には桜が植えられていたこととかかわって案内板が設置されたことは分かったが、これらは福島市のまちづくり事業とかかわるらしい。 
 その花祭り事業等で掲げられる地区名が「平田」で、その参加者が「山田」区民と紹介される。地域の方には馴染みだろうが、他所者には地区名にかかわる村の単位構成が入り組んでいるように感じるので整理しておく。

 この事業にかかわる地域の明治以前の村の最小単位を確認すると、「平沢村」・「石那坂村」・「小倉村」・「新田野目村」、そして、ここ「山田村」のようだ。
 これ等の村々は、明治9年(1876)時点で「山田村」はそのままだが、「平沢村」と「石那坂村」が合併して「平石村」となり、「小倉村」と「新田野目村」が合併して「小田村」になっている。
 そして、明治22年(1889)には、「山田村」も、その「平石村」や「小田村」と合併して平田村になっている。

 花祭り事業等で掲げられる「平田」の地区名は、この明治22年(1889)に合併した旧「山田村」と旧「平石村」と旧「小田村」の範囲で、他所者の感じとしては平田小学校区位の感じだと想像する。
 なお、「山田」の大清水が、傍の大杉が緑の文化財に指定される時に「信夫」の大清水に変化するのだが、昭和30年(1955)にこの平田村が、近隣の大森村等と合併し「信夫村」となっていることとのかかわりだろうと思われる。
 昭和40年(1965)には、この「信夫村」も福島市に合併する。これが他所者の感覚では、福島市の信夫地区で、信夫公民館の区を単位とした感じで把握する。現在も旧「山田村」と旧「平石村」と旧「小田村」の名称は、大字の単位で残されているようだ。

 花祭り事業にふれておきたくなったのには、もう一つ理由があって、先に整理していたNHK大河「八重の桜」とのかかわりだ。今回確認して行く中で、綾瀬はるかさんが訪れたのは、こちらだったと知ったのだ。
 その紹介に「福島市の花咲山」とあったのを、勝手に花見山だと勘違いして思いこんでいた。本当は、その「福島市の花咲山」は、ここ平田地区だったようなのだ。
 綾瀬さん本人は気づいていないようだが、会津に客を呼び込んだその貢献は大きかった。東京の電力会社の原発事故の年、会津でさえ誰も来ていないことを実際に眼にした。それがNHK大河「八重の桜」放映された年には、元通りになっていたのだ。
 その綾瀬はるかさんがここを歩いたようなのだ。
 NHK福島の「綾瀬はるかの『ふくしまに恋して』」のページで、それが今も観れる。
 「百花繚乱花咲山」編・「花咲まつり」編が、ここ平田地区の「福島市の花咲山」の紹介動画のようだ。
 http://www.nhk.or.jp/ashita/fukukoi/vol1.html#movie
by shingen1948 | 2015-05-10 05:21 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)