地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「東屋沼神社」②

 「信夫の里から東屋沼を意識する⑧」では、田沢地域には、「東屋沼」である現五色沼と底が通じている貝沼があるという信達の里の伝承と「東屋沼神社」はこの吾妻信仰とかかわっているという全体像が残っているとした。
 これは自分勝手な思いなのだが、字山田の「東屋沼神社」を散歩で確かめようとするのは、これが前提だ。
とりあえず貝沼に相当するような風景が欲しくなるのだが、これがうまい具合に直ぐ近くに山田大清水という湧水があるのだ。

 清水の脇に建つ案内板では、その由来について次のように記す。
 山田大清水の由来
a0087378_816460.jpg 山田大清水は古くから口碑にのこり、信達一統誌や信達ニ郡村誌にも古跡と記されています。
 信達ニ郡村誌は明治13年に編集されたもので、山田村の古跡の項には、
 「大清水 東部清水山ノ下ノ路傍ニ在リ 3間4面バカリ 深サ2尺4寸バカリ 南ノ岸ニ老杉1株アリ 周囲2丈 ソノ蔭池ヲ覆フ 昔舒明帝ノ石姫皇后 本村ニ暫ク留マリ給フ時 コノ池ニテ 手洗ヒ給フ 後ニ 信夫山ニ行カレテ住ミ給フ」(一部要約)とあります。
 大清水の傍らにある「羽黒山」碑の側面にも信夫大清水として、その由緒が有志者20数人の名とともに刻まれ、明治27年6月に建立されています。
 石姫皇后は、信夫山に行かれてお亡くなりになり、黒沼神社の祭神として祀られたと「黒沼神社縁起奥書」にあります。
 今も滾滾と湧く山田大清水は、古くから拓かれてきた福島の地に、伝説として脈々と生きています。
 平成9年3月
     福島市
 吾妻信仰や「東屋沼神社」とのかかわりについては語られていない。黒沼神社とのかかわりが中心に語られ、ここも古くから拓かれてきた福島の地であることが強調されている。
 なお、信達ニ郡村誌で「大清水 東部清水山ノ下ノ路傍ニ在リ」と表現されるようだが、その清水山というのが、現在高倉山と案内されている山なのだろうと思う。
by shingen1948 | 2015-05-05 08:18 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)