地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩33~「もう一つの奥の細道」とかかわって②

 現民俗資料館の建物が、旧第四連隊兵舎の建物で昭和53年6月16日に仙台市指定有形文化財に指定されているようだ。玄関前に建つ案内板で、次のように説明される。
a0087378_1885538.jpg 仙台市指定有形文化財 昭和53年6月16日指定
 旧第四連隊兵舎
 明治7年(1874)に建築された兵舎建築で、宮城県内に現存する洋風建築では最古のもの。瓦葺寄棟造り木造2階建で、(外壁は)漆喰塗の大壁、建物角隅(外壁の四隅)にはコーナーストーン(石張り)、ガラス入り上下窓、出入り口のポーチには洋風円柱、○雲形の彫刻を有する階段等の特徴を持つ。これらは明治6年寛政の名古屋第六連隊兵舎と似ている事から、当時の兵舎建築の基準に則ったものと考えられる。
 終戦まで60年間にわたり旧陸軍の兵舎として利用された後、終戦から昭和31年までは米軍の駐留、その後、昭和50年まで東北管区警察学校等に使用された。内部はその都度改造されているが、昭和53年文化財に指定された後、明治37年の状態に復元された。 
 なお、同様の兵舎が7棟残されていたが、これ以外の兵舎や本部等の建物は榴岡公園整備のため昭和52年2月に取り壊された。
 その説明と共に、ここ榴岡に第2師団歩兵第4連隊があった頃の図が提示されている。これらの兵舎は現榴岡公園にあって、その1棟を移動し再整備して民俗資料館とし、本部や他の兵舎の建物を取り壊して公園にしたということだ。
a0087378_1895727.jpg
 子規が訪れた時には、こんな様子だったのだろう。
 そこで、子規は「桜の並樹に沿って見込み、深く柵をめぐらして、いかめしい番卒が睨んでいるのは兵営で、俗中の俗だ。しかし、兵営からいえば俗中の雅になるだろうか。我はただ仙台公園のここに在るのを怪しむのみだ」と感じたのだろう。

 今回の散策で、宮城野橋にかかわる整理もしているが、いわゆるX橋は、もともと旧仙台城二の丸の第二師団と、ここ現榴岡公園である歩兵第四連隊や現宮城野原公園総合運動場である練兵場との間を結ぶために建設されたものとも聞く。
   ◇        ◇          ◇          ◇         ◇
 昨日整理の「杜鵑花」の意が分からないままだった。
 子規が訪れた榴ヶ岡公園は、「桜樹茂りあひて空を蔽ひ日を遮ぎ」る風景だったようだが、「杜鵑花は一株も見え」なかったとある。
 その「杜鵑花」は、杜鵑<ほととぎす>の鳴く頃に咲く花ということで「サツキ」を意味するようだ。名称は榴ヶ岡だが、ツツジ、サツキが一株も見えなかったということかな。
by shingen1948 | 2015-04-29 18:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)