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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩30~政岡墓所周辺から榴岡公園へ⑩

 今回の散歩で、「慶安3年(1650)徳川幕府の命令により東照宮建立に際し、その境内地東側に御遷座がなされた」ことに関わって整理していたことがある。
 それは、東照宮社殿完成前に日光東照宮からお迎えし、その御神体を仮安置する仮宮造営にかかわることだ。
 「再び仙台散歩⑬~仙台散歩とのかかわりで③」で、東六番丁と名掛丁を分断するように東北本線の路と仙台駅舎が造られたということの確認が中心で、仙台市立東六番丁小学校校庭に立つエドヒガンの大木は、東照宮の仮宮跡であった所に植えられとの情報に出会ったことにふれた。
http://kazenoshin.exblog.jp/21082410/
 しかし、ここではその緊迫感は意識していない。

 この祭神は、当然徳川家康公だ。
 この事業者である仙台第2代目藩主伊達忠宗公の正室は、孝勝院振姫で、二代目将軍徳川秀忠洸の養女という立場でのお輿入れだ。政岡墓所で整理したように、初代藩主とのかかわりからか、あちこちに仙台藩安定のための関係性の仕組みを感じる中の事業だ。
 一応、伊達忠宗が慶安2年(1649)に東照宮造営を徳川家光に願い出たものが許可されたという形にはなっているが……。
 今は、その仮宮造営には緊迫感があったように感じることを付け加えておく。

 散歩の関連情報をつなぐという事では、「再び仙台散歩④~「名掛丁藤村下宿「三浦屋」跡」情報③」でふれた塩釜の塩竃大明神(塩竃神社)の修造もかかわるかも……。
 ここでは、「塩竃神社」の仮宮を高福院境内に設置された情報にふれている。その塩竃大明神(塩竃神社)の修造は寛文3年(1663)だ。「躑躅岡天満宮」が榴岡に移される4年前、こちらも仙台藩第4代藩主伊達綱村公5歳時の事業だ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/21037685/
 
 今回は東照宮にはいかないが、この東照宮が八重の桜の大河にかかわって「城南豊岡」として整理した事とのかかりも整理しておく。
 東照宮遷座は、伊達氏の場合初代政宗の時代は隙あらば……と思っていたという状況下の2代目の事業だが、会津ではごく自然な事であったろうと思うのでそれにはふれていない。
 こちらで整理したのは、戊辰戦時に城南豊岡に日光東照宮の御神体そのものを城南豊岡安置したことについてふれている。
 その時の御神体は、9月14日に山形立石寺(山寺)に到着し、10月8日に立石寺から仙台仙岳院に移動しているのだ。この寺が、この時に仙台藩二代藩主伊達忠宗公が東照宮の別当寺として建立した寺というつながりのようだということ。
 〇 城南豊岡③~「松平容保ゆかりの特別展」開催の記事とかかわって
 http://kazenoshin.exblog.jp/18486315/
 〇 城南豊岡④~日光東照宮の御神体城南豊岡安置情報
 http://kazenoshin.exblog.jp/18496007/
 〇 城南豊岡⑤~もう一つの大義
 http://kazenoshin.exblog.jp/18502024/
by shingen1948 | 2015-04-25 06:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)