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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩23~政岡墓所周辺から榴岡公園へ③

 仙台市博物館前に建つ案内板の説明によると、現仙台市博物館の建物は、旧第四連隊兵舎の建物の一棟を明治37年の状態に復元した建物なそうだ。昭和52年榴岡公園整備の時点でこの建物同様の兵舎7棟と本部等の建物が残っていたとのことで、案内板には、その様子が分かる図も掲げられていた。
a0087378_10254399.jpg これは、その図から釈迦堂旧地である「みやぎNPOプラザ」付近の様子が描かれた部分を中心に切り取らせていただいたもの。
 北から西側にかけて木々で囲まれているが、その西側に山門があり、釈迦堂に続く参道が描かれている。
絵図の東西に走る道筋は、二十人丁につながる道筋に近い道筋だろうか。公園の桜はその名残とのことなので廻りの木々は桜なのだろう。
 南北に走る道筋が現公園内の桜並木に近い道筋だろうか。

 ここに「孝勝寺」の案内板に解説される「境内には、釈迦堂の外に、二天門・鐘楼が置かれ、周囲には枝垂れ桜多数植えられていた」風景をイメージする。更に、「仙台・あの日【河北新報(20153/3)】」にまだ釈迦堂がこの地にあった頃の写真が掲載されていた風景を重ねてイメージを強める。
a0087378_10271455.jpg

 釈迦堂跡地を南側から引いてみると、こんな感じだ。榴岡と二十人町の辻標が、電柱の右手に建っている。榴岡については、次のよう説明される。

 古くから歌枕に読まれたツツジの名所である。文治5年(1189)源頼朝の平泉攻めに備え、藤原泰衡が陣をお置いた鞭舘は当地という。藩政時代、蒲生に集まった仙北等の米は舟曳掘を舟でひかれ、苦竹村の米蔵に運ばれた後、宮城県図書館の東側にあった原町米蔵に運び込まれた。図書館の地には孝勝寺にある釈迦堂が建立されていた。
 ここでは、「原町米蔵」の位置を宮城県図書館の東側とするが、現況ではみやぎNPOプラザの東側ということになるが、「仙台城下絵図」を確認すると、その位置は旧道沿いのようなので、現況はバイパスが走るあたりかなと想像する。
 なお、現公園内の桜並木に近い道筋に近い道筋の東側に御材木蔵があって、その東側は畑地となっている。そのまま宮城野の原野につながっていた感じがする。

 散歩で歩いたことを頭において「仙台城下絵図」を見ると、現況は軍施設跡地に造られた芝生の広場が榴岡公園の中心だが、元々はこちら側が榴岡公園だったことが分かる。
by shingen1948 | 2015-04-16 10:29 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)