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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩22~政岡墓所周辺から榴岡公園へ②

a0087378_1828815.jpg ここは、現「みやぎNPOプラザ」だが、仙台藩四代藩主綱村が、母の徳を後生に伝えんが為に釈迦堂を建立したとされるのがここのようだ。

 「孝勝寺」の「釈迦堂」に建つ案内板によるその移転についての説明は、次のようだ。
 もと榴ヶ岡にあり、境内には釈迦堂の外、二天門、鐘楼が置かれ、周囲には枝垂れ桜多数植えられていた。公園の桜はその名残である。
 昭和48年(1973)宮城県図書館(現在の宮城県公文書館)が建設されるにあたり、この地に移転したが、堂建立の主旨を綴った「釈迦堂碑」は現在も宮城県公文書館前にある。
 平成17年3月に仙台市教育委員会が案内板を建てた時点では、ここは「宮城県公文書館」だったようだが、それが平成24年10月で閉館し、現在はその建物が「みやぎNPOプラザ」になっている。また、移転理由を「昭和48年(1973)宮城県図書館建設」と説明するが、それは、ここが平成13年に公文書館になる以前が「旧県立図書館」で、その建設にかかわるということのようだ。
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 堂の傍にあった堂建立の主旨を綴った「釈迦堂碑」は、釈迦堂が孝勝寺に移された後もそのまま構内に残されているとあるが、その「釈迦堂碑」がこちらだ。

 碑の脇に建つ案内板では、次のように解説する。


 躑躅岡(つつじがおか)釈迦堂碑
 仙台藩第4代藩主の伊達綱村が、生母である三沢初子の没後10年目にあたる元禄8年(1695)にその冥福を祈るため母が生前護持していた釈迦像を祀る仏堂(躑躅岡釈迦堂)とともに、自ら碑文を起草した石碑を建立した。
 碑には、母の遺志により釈迦堂を建立したこと、また釈迦堂に参詣する人々に対する「母の慈仁の志」や「子の誠孝の意」といった親子としてのあるべき道が説かれている。
 釈迦堂は、宮城野区榴岡4丁目の孝勝寺に移された。
 「御朱印巡りの旅日記」というページに、読み取った碑文が紹介されていた。
 以下は、その碑文を参考に、撮った写真の碑文を拡大して眺め、その配列とちょっとだけ読み取りを修正してみたものだ。まだ、文字面を眺めているだけで、読み取ってはいない。
 http://ameblo.jp/tsato1966/entry-11822579232.html

久成如来之尊像者
尊妣源初子浄眼院了岳日嚴大姉昔年以赤栴○(檀?)
香木刻分寸
尊像所常護持而爲不肖祈福壽圓満也
尊妣毎語曰後来須造堂於城外責賤觸順逆縁
乃是不肖造壽長福之基莫加於此矣
尊妣辞世之後常思之占時有年相攸有月遂築殿
于城南躑躅岡安置于此而以成被所願且祈
尊霊之無上○等成生覚凡所詣于此令爲人母者慕
尊妣慈仁之志各各爲子得除災招福令爲人子者
習不肖誠孝之意各各爲存亡母得滅罪生善也乃
至一切所過此之人及牛馬之類使觸縁結因而意
無一不成佛
   元禄八龍集乙亥年三月八日
 奥州太子藤原朝臣総○謹志
by shingen1948 | 2015-04-15 18:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)