地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩21~政岡墓所周辺から榴岡公園へ

 金勝寺の門前通りの道筋は、榴岡サンプラザの東側の道筋だ。
 この通りが仙石線マニアの方にとっては5番目の踏切「新倉通り」の風景が思い浮かぶらしい。
 宮城野大通り手前の榴岡サンプラザ脇から榴岡公園に向かうその道筋を眺めるとこんな風景。
a0087378_934193.jpg 元々の地図に開発の道路を重ねて表す「仙台駅東口開発図」と照らし合わせると、地下化する以前の仙山線が敷設されていたのが、宮城野大通りを越えた右手にあるコンビニビル辺りらしいことが分かる。
 昭和になって埋め立てられ道路となったという孫兵衛堀の痕跡とかかわるのが、その後ろにみえる道筋のようだ。その道筋の南側に並行して走ってきた仙山線は、ここから現宮城野大通りに食い込んだ状態から、公園の縁に沿って緩やかに北側に方向を変えていたようだ。
 「新倉通り」の踏切はコンビニビルの右手あたりだろうか。

 その奥が丘になっているが、「榴ヶ岡公園」だ。この風景から、なるほど「つつじか岡」だなと高低差を意識する。
 この時点で、仙台市歴史民族資料館と躑躅岡天満宮も目的地として頭にはあるのだが、まずは、目的地を釈迦堂跡に設定し、そこに向かう途中の「榴ヶ岡公園」に入り込みながら進んでみることにした。

 家に戻って確かめた事だが、「街道をゆく」(嵯峨散歩 仙台・石巻)のページによると、宮城野大通りが出来る前は、この辺りは荒れ果てた墓地が続いたとのことだ。
 http://aya3photo.sakura.ne.jp/kaido-o-yuku_index.html
 仙台サンプラザの場所が「榴ヶ岡病院」という法定伝染病病院だったとのことだ。病院の周りは、杉木立でうっそうとした感じで日中でも薄暗い道が続いていたという。
 その「榴ヶ岡病院」は、元々孝勝寺裏の伊達家の土地に建設して患者を収容したのが始まりなそうだ。「仙台避病院」→「市立伝染病院」→「市立榴岡病院」と改称し、昭和55年(1980)に廃止されるまで、伝染病患者の収容施設だったのだという。
a0087378_9364346.jpg 高低差を意識しながら「榴ヶ岡公園」の西側の道筋を暫く進むと、公園内に桜の並木路が見えてくる。そちらの道筋を歩こうと思ったのは、第4代藩主綱村公が、「士民遊楽の地」として釈迦堂の周りに枝垂れ桜・彼岸桜を千株植えたということとのかかわる風景に思えたからだ。

 写真は3月12日の散歩時に撮ったものだが、お花見百景の情報に寄れば、現在満開かな。ここは、東北人気スポットランキング3位、行ってみたい桜名所ランキング9位とのことだ。賑わっている頃だろう。
 この桜だが、綱村公が1695年に植えた桜は、文化年間の大火で大半が焼失したようだ。
 昭和3年(1928)に、昭和天皇御即位記念として桜100本が植樹されているという。また、公園内に建つ案内板によれば、その桜も終戦前後の荒廃で枯死寸前となっていたようで、老人クラブ榴岡明寿会が昭和38年に八重紅枝垂れ桜4本植えたのを始まりに毎年植えつづけ、現在までに同桜152本、其の他を植樹したという。
 公園内には、それらを含めて約370本の桜があるようだ。
a0087378_9402079.jpg この「八重紅枝垂れ桜」は樹齢280年なそうで、年代的に仙台藩四代藩主綱村が京都から取り寄せて植樹したという桜とかかわりがあるのかとうか想像が膨らむ。


 「仙台市のホームページ」では、「榴岡公園」の項で桜について次のように解説している。

 仙台藩四代藩主綱村が京都から取り寄せたシダレザクラなど1000本あまりをこの地に植えたのが始まりと言われています。時を経て、戦後の荒廃や樹木の老衰によって木々の本数が少なくなったため、シダレザクラの名所として甦らせようという気運が高まり、植樹が行われました。今では、サクラの名所として広く知られ、サクラの季節になると花を楽しむ多くの人たちで賑わいを見せます。

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by shingen1948 | 2015-04-14 09:42 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)