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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩⑲~政岡墓所から周辺の寺町を歩く②

a0087378_543463.jpg 次に写真に写っていたのは、曹洞宗永福山「東秀院」。
 蔵王の「保昌寺」の末寺で、寛永2年(1625)現宮城野区小田原に開山したが、 寛永14年(1637)からの第1次城下拡張で新寺小路に移ってきたらしい。仙台城下拡張の際、元寺小路から新寺小路に移ったお寺はよく分からないようだが、この東秀院以東ともいわれているのだとか。
 散歩中には気づかなかったが、 山門右脇に写り込んでいるのは、平成4年(1993)建立の仏舎利塔らしい。ミャンマー仏教会への協力に対する返礼としてミャンマー仏教会からアジア仏教徒協会を通じて東秀院に贈られものとか。
 ここには、天保4年(1784)に建立された飢饉供養塔もあるようだ。何時になるかし分からないが、次の機会かな。
a0087378_562978.jpg その次に写真に写っていたのが、浄土宗弘誓山「正雲寺」。
 慶長15年(1610)開山で、開山時は岩城の専称寺の末寺だったが、いまは増上寺の末寺だとのこと。
 境内には、八塚の地名の起源ともいわれる伝説につながる八地蔵があるとか、四角い石をくり抜き「南無阿弥陀仏」と彫られた輪廻車が廻るようになっている石塔があるとの情報。
 「八塚の地名の起源」とある「八塚」というのは、伊達政宗による仙台城下の町割り以前からこの付近に由来のはっきりしない八つの古塚があったことととのかかわりのようだ。それに因んで、一帯は八つ塚と呼ばれていたとのこと。かつての土地の豪族などの墓と思われているようだ。
 「八塚の地名の起源ともいわれる伝説」とあるその伝説そのものの情報がなかなか得られなかったが、「時の散歩/仙台寺社巡り」のページ「正雲寺」の項に以下の伝説が紹介されているのをみつけた。
 http://www3.plala.or.jp/gameticket/index.html#top
 昔、重罪人の火あぶりの刑を見た8人の子供たちが、遊びでそのまねをして1人の子供を罪人に見立てて縛り上げ、 藁などを集めて火をつけたところ、火は大きく燃え上がり、その子は本当に焼け死んでしまった。 子供たちはどうすることもできず、亡骸をそっとそこに埋めて帰ったが、夜になって大人たちが探し当て,事の次第が明らかになった。 親たちは供養のために身代わりの八つの地蔵を建て弔ったという。
 
 よく覚えていないのだが、屋根を気にしているような写真がある。恐らく気になったのは、屋根の色と寺紋かな。
a0087378_5101663.jpg 次に写っていたのが、この寺を回り込んだところで、新寺小路緑地のようだ。寺をぐるりと廻り込みながら、榴ヶ岡公園を意識していたのだろう。
 この新寺小路緑地が写る写真が数枚ある。ここは、散歩するのによさそうだなとの思いがあって、ちょっと入り込んでみたり、風景を眺めたりしたが、今回は持ち時間の都合で、寺町の雰囲気を少し味わうガイダンス散歩。
by shingen1948 | 2015-04-11 05:14 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)