人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

再び仙台散歩⑮~伊達家墓所(政岡墓所)②~稲葉氏仙姫墓所

a0087378_6412949.jpg この墓所の中央が、この稲葉氏仙姫の墓だが、ここは元々振姫と三沢初子の廟所だったようだ。そこに「万寿寺」から仙姫の墓が移されて現在のようになったということらしい。
 それは、散策が済んで整理していく中で分かった事。
 気になったのが、案内板の稲葉氏仙姫の法名「万寿寺殿宝蓮浄晃尼大姉」の「万寿寺殿」の部分だ。その「万寿寺」側から確認してみて分かった事だ。

 「万寿寺」を確認すると、寺の創建は元禄9年(1696)で、ここを宝永3年(1706) に他界した綱村公夫人稲葉氏仙姫の菩提寺にしたということだ。
 4代綱村公は、元禄9年(1696)に加美郡黒沢村(現加美町)安養寺を廃して、その宝物と本尊釈迦牟尼佛を市内小田原に移してこの「万寿寺」を創設したとのこと。その周囲には、15ヶ寺の禅寮を配する大伽藍を成し、最盛期には修禅者500人を擁したとのことだ。
 宝永3年(1706)に綱村公夫人稲葉氏仙姫が48歳で他界すると、ここに本殿、拝殿、唐門から成る廟所を造営して、その菩提寺としたのだという。

 それが、こちらの伊達家墓所(政岡墓所)に改葬される事になった経緯については、次のようだったとのことだ。
 寺は、明治2年に(薩長軍に據り=明治政府により)廟を破却させられ、版籍奉還と共に寺録を失った。それで寺は著しく荒廃し、塔頭三昧院(開祖月耕墓所)だけが残る状況になったということのようだ。
 大正7年に、三昧院を萬寿寺と襲名して再建を図るのだが、昭和30年に新坂通の大願寺と荒町の常念寺に萬寿寺霊廟門を移築。そんな経緯の中で、昭和35年(1960)に、仙姫の棺が榴岡の伊達家墓所に改葬されたということのようだ。

 この墓所の案内板には、「明治初期までは本殿、唐門、拝殿があったが、伊達家の祭祀が神式に改められて撤去された」とするのだが、この情報と「万寿寺」の「明治2年に(薩長軍に據り)廟を破却させられ、版籍奉還と共に寺録を失って、著しく荒廃し」という情報とは、別視点で同じ事情を説明したものなのだろうと想像する。

 なお、この寺の宗派である黄檗宗は、禅宗の一派であるとともに、煎茶道とのかかわりが深い特色があるらしい。
 今回得た情報は、その煎茶道とかかわって「SHIKOUSAKUGO」の「売茶翁と仙台」について紹介されるページにたどり着き、そこに丸ごと紹介されている現在の萬寿寺の案内板を参考に読み取ったものだ。
 http://bukkyofan.blogspot.jp/2014/06/blog-post_4.html
by shingen1948 | 2015-04-06 06:54 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)