再び仙台散歩⑭~伊達家墓所(政岡墓所)
2015年 04月 05日
実際には、榴ヶ岡周辺の散策の後に、先の「仙台散歩」で見落とした事を確かめるために仙台駅周辺を散歩したのだが、「仙台散歩」との絡みで仙台駅周辺の散歩を先に整理した。
今回から、榴ヶ岡周辺を散策した事から順に整理して行きたい。
用事があったのは、仙台サンプラザ。
その門前が仙石線榴ヶ岡駅なので、仙台駅仙石線に乗り換えればいいのだが、あえて仙台駅から歩いてみた。これも散歩かな。
整理しするのは用事が済んでからの散歩だが、ここは初めての所でよく分からない。それで、あらかじめ名所として紹介される地点を確かめておいた。そのポイントを探したり、その周辺を散策して歩いてみたことの整理だ。
まず立ち寄ったのは、近くの伊達家墓所(政岡墓所)だ。
予備知識としては、ここには4代仙台藩主綱村を生んだ三沢初子と、2代藩主忠宗の正室徳川振姫と、綱村の正室稲葉仙姫の墓があるということぐらい。
ここを、政岡墓所とするのは、歌舞伎では伊達騒動の4代藩主の毒殺未遂事件の乳母の政岡が有名で、そのモデルが三沢初子ということに由来するらしい。
正面入り口に、案内板が建つが、門が閉まっている。
仙台市指定史跡
三沢初子の墓など
昭和47年2月1日指定
三沢初子の墓
三沢初子は尼子氏の重臣三沢清永の娘で、後に三代藩主綱宗の側室となり、亀千代(四代藩主綱村)を生む。貞享3年48才で歿す。
法名 浄眼院殿了岳日巌大姉
寛文事件(伊達騒動)の時には、12年にわたり幼君亀千代を守って辛労した。歌舞伎「先代萩」の正岡は、三沢初子をモデルにしたものと言われている。
明治初期までは本殿、唐門、拝殿があったが伊達家の祭祀が神式に改められて撤去された。
徳川振姫の墓
徳川振姫は姫路城主池田輝政の娘で、2代将軍徳川秀忠の養女となり、後に2代藩主忠宗の正室となる。万治2年53才で歿す。
法名 孝勝院殿秀岸日訊大姉
稲葉氏仙姫
稲葉氏仙姫は小田原城主稲葉正則の娘で、後に4代藩主綱村の正室となる。宝永3年48才で歿す。
法名 万寿寺殿宝蓮浄晃尼大姉
本山孝勝寺