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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩⑬~仙台散歩とのかかわりで③

 前回は、新宮城野橋周辺の様子を整理した。散策の順序としては、名掛丁アーケード手前の左手の立ち食いそば屋さんでざるそばを食べた後の話。
 その店の前から、エスカレーターでペデストリアンデッキの宙空の路面へのぼった。そこから「アエル」の「2Fアトリウム」を抜けて、元寺小路に向かった。前回までは、その広瀬通りから新宮城野橋に抜ける道筋の宙空の路面上から観察したことだ。
 このことにかかわって、福島の書店で司馬遼太郎氏の「街道をゆく」の描写を立ち読みで確認しようとしたら26巻だけが抜けている。これが偶然なのか、ここでは会津よりも仙台に興味を持つ方が多いということなのかは分からない。
a0087378_513373.jpg そのペデストリアンデッキの突き当たりが「末無掃部丁」の入り口にあたる。先の仙台散歩では、ここで宙空の路面から地上に降りて「末無掃部丁」を歩いた。今話題の大塚家具店もこの直ぐ先ある。

 今回は、ペデストリアンデッキの宙空の路面を東に折れて進む。その先から元寺小路の路上に降りた。
 この元寺小路は、現在は線路で遮断されているが、「仙台地図散歩」で案内される「仙臺市全図(大正元年)」では駅裏に繋がっていたように思う。
a0087378_5164667.jpg これが、元寺小路側から見る名掛丁側から抜ける線路沿いの小路。現在X橋桁撤去と新宮城野橋建設工事のために通行止めになっていて、この道筋の左側がう回路になっている。
 「仙臺市全図(大正元年)」には、X橋も描かれていないし、その煉瓦造りのX橋の橋桁が跨ぐ名掛丁側から抜けるこの線路沿いの小路も描かれていない。

a0087378_51845.jpg ここが、前回の仙台散歩で整理が弱かった「掃部丁」の通り。
 今回確認した名掛丁からX橋の橋桁を潜る線路沿いの小路の先の確認ということでもある。風景としては何という事もない平凡なものだが、「塩竃神社」の由来書にあった「高福院」が当時、現在の仙台駅北側にあったという情報からの漠然とした興味もある。その「高福院」がこの道筋辺りにあったとのイメージを重ねる。
a0087378_5193016.jpg 花京院通りに出て右手を眺めると、東六番丁の通りが見える。
 「高福院」の位置的情報としての部分を読み取ると、明治20年に東六番丁と名掛丁を分断するように東北本線の路と仙台駅舎が造られたということで、その寺が東六番丁側にあったようにも受け取れなくもない。
 そんなことをイメージしながら情報を確認していくと、仙台市立東六番丁小学校校庭に立つエドヒガンの大木は、東照宮の仮宮跡であった所に植えられとの情報に出会う。
 承応3年(1654)に仙台の東照宮社殿完成を前に日光東照宮から御神体を迎えた際、この地に仮宮を設けて一時安置したとのことだ。
 この辺り、元寺小路近くでもあり、花京院通り近くでもあるので、別当寺とのかかわりで仮宮があるというような似たような話が、多いのかもしれないな。
by shingen1948 | 2015-04-04 05:23 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)