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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩⑦~名掛丁と三浦屋跡とX橋と

a0087378_1159664.jpg 仙台駅の西口に抜ける地下道で、ぼんやりとは名掛丁の通りを意識した。
 明確に意識するのは、仙台駅の西口に抜けてから。その先に「ハピナ名掛丁」のアーケード街入り口が見えた時。これで、先の散策と繋がったということでもある。

 家に戻って「仙台駅東第二土地区画整理事業」のページを開くと、元々の地図に「土地利用計画図」が重ねて表示されている。
 http://www.city.sendai.jp/toshi/eki2/shoukai/shoukai-2.html#tochiriyou
a0087378_121454.jpg 名掛丁の通りを確認すると、その通りと三浦屋跡とのかかわりも気になるのだが、もう一つ、X橋の道筋とのかかわりも気になる。
 それで、この図の名掛丁の通りと元寺小路、それにX橋をなぞってみる。ついでに、「旧三浦屋跡地の案内板」の位置、旧塩釜神社の位置、藤村広場もプロットする。「旧三浦屋跡地の案内板」の位置は、大正元年の地図で「119番地」が2か所に示される南側の位置である事が分かる。
 その東側に「120番地」を意識したものと想像するが、その北側の名掛丁の通り沿いの中央付近も「120番地」でないのかなとも思う。

 X橋の欄干を活用した歌碑については先に整理したが、塩釜神社の脇に掲げられるX橋についての案内についてはふれなかった。X橋のイメージがはっきりしなかったからだ。
 その案内によると、移築された塩釜神社参道の敷き石もX橋に使われた石材の再利用とのこと。
 【塩釜神社参道】
 この参道敷き石は、元寺小路・福室線の工事による宮城野橋(通称X橋)架け替えにともない、不要になった石材を名掛丁東名会(地元町内会)が仙台市より譲り受け、塩釜神社・三吉神社の参道として再活用したものである。
 X橋は大正11年(1922)に軍部の要請により建設された東北本線を跨ぐ陸橋であるが、地元商店街を無視した道路の新設計画に、町内会が一丸となり、後藤新平(東京初代市長)まで担ぎ出して反対運動を起こしたが、所詮軍部が相手では勝ち目無くX橋とともに新道路は建設された。
 しかし、この道路はその後の車社会の到来とともに、仙台駅の東西を結ぶ幹線道路となり市民の生活にも大きく貢献した。
 このX橋の石材には、軍用道路としての強度が要求され、主に宮城と福島の県境にある和田峠の石材が使われたが、一部、茨城県笠間市産の「稲田石」が使われた。
 この石材を利用した同時代の建造物として「国会議事堂」「東京日本橋」「東京駅」「明治神宮」等があり日本近代遺産の歴史に大きく寄与した。
 名掛丁東名会では、この石材を「町の歴史遺産」として、参道に再活用し、その歴史を後世に伝えるものである。
 平成23年10月10日
 名掛丁東名会
 結びでは、この石材を「町の歴史遺産」として再利用するのは、一部使われた茨城県笠間市産の「稲田石」が日本近代遺産の歴史に大きく寄与したからとしている。
しかし、本音は、歌碑も含めてX橋に対する愛着なのだろうと思う。
 X橋命名の由来も案内される。
 【X橋命名の由来】
 軍の要請による新道の建設の為に、名掛丁と元寺小路の街を繋ぐ踏切は撤去されることになった。
 その救済として、宮城野橋に連結する道路は、東西の名掛丁と元寺小路に二股に建設され、その形が「Xの文字」に似ていることから「X橋」と呼ばれるようになった。

by shingen1948 | 2015-03-27 12:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)