地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩④~「名掛丁藤村下宿「三浦屋」跡」情報①

 詩集「若菜集」は、藤村が25歳の時に初めて出した詩集。同じ頃出版された別の詩集では、藤村自身が「ついに新しき詩歌の時は来たりぬ。」との熱い思いをかたっているのだとか。その数々の詩作を生み出す舞台になったのが名掛丁の下宿屋「三浦屋」。
a0087378_5425953.jpg この名掛丁の下宿屋「三浦屋」の位置にかかわる情報を整理するが、今のところ藤村広場に建つ「日本近代詩発祥の地」から北側にかけての付近なのではないかなと勝手に思っているところだ。

 情報の一つは、「日本近代詩発祥の地」の石碑が建つ位置だ。案内では、ここが「名掛丁藤村下宿「三浦屋」跡」だとし、「ここ三浦屋にありて、若き島崎藤村、日本近代詩の夜明けをつげる『若菜集』を生む」とする。
 この「日本近代詩発祥の地」の石碑が建つ前に、微妙にずれる情報がある。それは、1994年6月頃、町内会青年部が設置したという案内板だ。この情報が元になっているのではないかと推定される。
 この案内板は、「三浦屋があった場所の北側の市道沿いに設けられた」とのことだ。茶色い下地に白文字で書かれたその案内板は、ネット上で確認できる。
 その題は、「名掛丁120番地 日本近代詩発祥の地 『若菜集』 島崎藤村下宿 名掛丁三浦屋跡地」である。
 それに続いて、現在の案内板と同様に「市井にありて」からとして藤村氏自身が語る三浦屋情報が紹介される。
 仙台の名掛町というところに三浦屋という古い旅人宿と下宿を兼ねた宿がありました。その裏二階の静かなところが一年間の私の隠れ家でした。『若菜集』にある詩の大部分はあの二階で書いたものです。宿屋の隣りに石屋がありまして、私がその石屋と競争で朝も早く起きて机に向ったことを憶えています。あの裏二階へは、遠く荒浜の方から海の鳴る音がよく聞えて来ました。『若菜集』にある数々の旅情の詩は、あの海の音を聞きながら書いたものです。
 ここで注目したかったのは、ここに「名掛丁120番地」とあることだ。
 この一点が島崎藤村下宿名掛丁三浦屋跡地であることの確たるものなのではないかと思ったのだ。

 「仙台地図散歩」で案内される「仙臺市全図(大正元年)」で名掛丁を確認すると、東六番丁と交差する東側が「119」、その隣に「保生病院」が記され、その直ぐ東側に「121」の番号が振られているのが分かる。東七番町と交差する西側が「133」の番号が振られ、東七番町に沿ってその南に「134」の番号が振られている。 
 ちなみに、「119」が振られた東六番町と交差する東側の直ぐ南にも「119」が振られ、東六番町から塩釜祠の鳥居のマークが記される。
 つまり、名掛丁通りに面した「保生病院」が記される辺りが「名掛丁120番地」なのではないかと想像したのだ。
 その確からしさは分からない。
by shingen1948 | 2015-03-21 06:39 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)