地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台散歩⑭~「芭蕉の辻」⑤~「もう一つの奥の細道」とかかわって

 今回は、この「芭蕉の辻」までの仙台散歩。ここから駅に戻るが、「もう一つの奥の細道」として「はて知らずの記」をもとに子規を追ったその続きを意識すれば、この「芭蕉の辻」の右手に少し進みたいところではある。
a0087378_4125318.jpg ここを南北に横切る道筋が奥州街道だ。仙台駅に降り立った子規がとったのが国分町の宿。その宿のあった地点がこの街道の北側の先にあるようなのだ。

 子規は、27日に飯坂を出発し、「葛の松原」を経由して桑折に出る。そして、その桑折駅から汽車に乗って北上する。このあたりについては、2011年11月頃「もう一つの奥の細道」⑥で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/11559631/
 飯坂をたつ時に、既に相当体力を消耗していたようだが、この日、子規は岩沼で汽車を降りて実方の墓をめざしている。そこから現名取駅である増田まで歩き、ここから汽車で仙台駅に降り立つようだ。
 体力回復のため数日間滞在するその宿が、国分町の針久旅館のようなのだ。まだ確認していないが、「はて知らずの記」の草稿に「針久旅館」とあるとのことだ。

 行きあたる宿に落ちつく涼みかな

 島崎藤村がかかわるのは、駅前の「針久旅館」のようだが、こちらは国分町の「針久旅館」。多分、奥州街道国分町の宿が本店。確認していないが、駅前店は鉄道が開通したことに伴って進出したもので、明治26年時点では存在していないものと想像する。
 「仙台地図散歩」にかかわるページで、大正時代の国分町の宿場の様子が確認できる。その情報を地図に示すと、こんな感じ。
a0087378_4162843.jpg 国分町通りのこの辺りに旅館が固まって建ち並んでいる。子規の泊まった国分町の宿場「針久旅館」も確認できる。
 子規が、実際に仙台駅からこの芭蕉の辻を経由して、国分町の宿に向かったのかどうかは知らない。しかし、その目印にはしているはずという思いがある。

 子規は、次の28日は、病の疲れ、旅路の草臥れという事で、この宿で朝とも昼とも夜ともいわず、ひたすらに睡魔に襲はれて、唯うとうととばかりに枕一つがこよなき友だちとなって、一日中寝ていたということのようだ。

 雨晴れてまたあらたまる熱さかな

 ただ、心はすでに憧憬の松島に遊んでいるようだ。
 月に寝ば魂松島に涼みせん
 涼しくもがらすに通る月夜かな
 その日を、「十七夜の月見過ごしてはことさらに松島の風光に負くに似たり。明日は必ず扶桑第一の山水に対せんと 独り契り独り点頭きて眠に就く」と結ぶ。

 29日には、積極的に行動を開始する。仙台つつじが丘、塩釜、松島、観瀾亭、瑞巌寺、五大堂を見学し、この日は観月楼に泊まるようだ。この日の子規の動きは、この「芭蕉の辻」から駅に向かうという逆コース。
 30日には、雄島、富山紫雲閣、塩釜、多賀城址を廻って、岩切から仙台に戻る。
 子規は、再び「針久旅館」に泊まるようだ。
by shingen1948 | 2015-03-11 07:10 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)