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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台散歩⑩~「芭蕉が辻へ」

 「マーブルロード大町」のアーケード街は、東一番町通りのアーケード街の賑わいとつながるのだが、「芭蕉が辻」を目ざす他所者の散策人としは、ここから先の賑わいが途切れるのが少し不安になる。
 辺りを見回し、左手の「サンモール一番町」アーケード街側の柱に案内地図があるのを見つけた。これで、その周辺の様子と目ざす方向を確かめる。
 目を凝らしてめざす方向をみれば、「芭蕉が辻」を案内する石碑が見える。
a0087378_5445623.jpg これは、そこから少し進んだ位置から撮った写真だ。
 散歩で感じたイメージを元にして、大町の概要の情報を確認すれば、ここから見える「芭蕉が辻」周辺が「大町3丁目」とのことだ。
 その先に写るのが大町2丁目、1丁目だろうが、藩政時代の譜代商人の中心町としては、この大町3丁目から東側のようだ。
 ここに豪商が軒を並べていたのだとか。その譜代商人には専売権が与えられていたという。「芭蕉が辻」周辺の「大町三丁目」では呉服・麻・綿織物、「東一番丁」のアーケード街と交差する付近の「大町4丁目」では小間物、その東側の「大町5丁目」では油などの商業特権で保護された商いが立ち並んでいたのだとか。伊達藩62万石城下町の経済の基礎を築いたとの自負を持つ老舗「おおまち商人」達が、この大町に店舗を構えていたということらしい。
 また、ここに写る「大町3丁目」には京屋、「東一番丁」と交差する「大町4丁目」には島屋という飛脚屋があり、商人の通信機関の役割をも担っていたということのようだ。

 この賑わいに大きな変化が起きるのは、明治に入って武家屋敷での商業禁止が廃止され、町の特権も廃止されてからのようだ。それでも、明治初めまでは大町全体が栄える江戸時代の序列が維持されていたという。
 この大町での大きな変化は、明治15年(1882)に芭蕉の辻勧工場という大規模店ができ、明治34年には伊沢商館という勧工場ができたことのようだ。その大規模店が商店街の顔になったという。
 それに比べても、現況の賑わいの中心は駅側に移動しているようだ。ここ「芭蕉が辻」付近は、銀行街のイメージになっている。この中心地の移動は、明治20年(1887)に鉄道が開通された事が大きな要因のようだ。

 「芭蕉が辻」付近が銀行街になる変遷を確かめると、まずは、明治11年(1878)に七十七銀行がここに本店を移したのだとか。
 次に、大正11年(1922)に明治生命が支店を構えるようだ。この明治生命支店の建物が、市中でも1、2の豪華な建物であったのだとか。地上3階、地下1階のロマネスク建築式で、煉瓦の壁にみかげ石が貼られていたという情報。これが、現「芭蕉が辻」の案内碑が建つ銀行辺りかなと思う。
 更に、昭和16年(1941)には、芭蕉が辻商館の跡に、日本銀行が仙台支店を置いたとのこと。その芭蕉が辻商館の跡に日本銀行が仙台支店が置かれた地点が、現日本銀行仙台支店なのだろうか。
 ただ、この地点に立派な建物が写る絵葉書を見かけるが、その解説では、その建物が七十七銀行本店と記される。ということは、この地点が「芭蕉が辻商館」→「七十七銀行本店」→「日本銀行仙台支店」と変遷したのだろうと想像するが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2015-03-07 06:41 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)