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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

仙台散歩⑧~「芭蕉が辻へ」~「名掛丁と新伝馬町」のアーケード街

 「仙台城下の町名由来と町割」では、アーケード街にかかわる道筋は、「名掛丁と日吉丁」、「新伝馬町と東5番丁」のまとまりで解説される。これは、テーマが「辻標八十八箇所を訪ねて」となっていて、その辻標毎に解説されるからだ。
 「仙台散歩⑦」では、アーケード街の「名掛丁と新伝馬町」、そのアーケード街を横切る「日吉丁と東5番丁」というまとまりの中で整理している。
 標柱には、その東5番丁については以下のように標記されているという。
 
東1番丁からほぼ平行に割り出された侍丁の一つで、名掛丁と北目町通の間を結ぶ。仙台城に勤める大番士の屋敷丁だったが、維新後明治20年の鉄道開通によって駅前地区となり、道路拡張や南北への延長が行われた。第二次大戦後さらに整備が進み、市街地を貫く大動脈の一部となった。
 大番士とは、戦闘の際主力を務める重要な任務を担っていて、藩内全体で3600人。家格によって詰所が分かれていたのだとか。

 「名掛丁と新伝馬町」のアーケード街を南北に横切る道筋のうち、別項で解説されているのが東3番丁だ。辻標とのかかわりで鉄砲横丁とのセットで解説されている。
 宮城県庁から五橋中学校近くまでの長い通りである。昔は中身の侍丁で、明治中頃に五輪まで通じた。かつては「医者まち」と呼ばれ、医者や弁護士が多い屋敷町だった。戦後の闇市時代から続く仙台朝市は、今では市民の台所である。
 中身侍の屋敷は平均4~500坪前後の広さがあり、緑の木々に覆われて静かな屋敷町だった事が想像されると、仙台が緑の多い街であることとの関連について解説される。
 「仙台の古地図」で、この「医者まち」にかかわる情報を見た事を思い出した。
 「三瀧山不動院」の直ぐ西側の交差点が、新伝馬町と東3番丁の交差点だが、ここに桜井薬局(桜井セントラル)がある。その薬局を中心に、二番丁~4番丁辺りの範囲の大正時代の古地図を示し、そこに16の医院が+マークで記される。この辺り、現在も開業医が多いのだとか。
 真偽は知らないが、この薬局が東北大学病院に学ぶ医者の卵らに宿を提供していたこととかかわるのではとの情報だ。

 
by shingen1948 | 2015-03-05 10:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)