仙台散歩⑥~芭蕉が辻へ~「クリスロード商店街」
2015年 03月 03日
しかし、「仙台城下の町名由来と町割」によれば、現愛宕上杉通を少し超えた常陽銀行辺り迄が名掛丁で、そこから先が「新伝馬丁」とのことだ。
「新伝馬丁」を確認すれば、開府時は「日形町」だったのだが、1694年に「新伝馬町」と改称されたのだとか。これは、城下に国分町と北目町に伝馬の宿場が置かれたが、需要に供給が間に合わずに、ここにも伝馬が置かれたということによるとのことだ。仙台近郊、山形、秋田などから荷馬車が集まる問屋街として発展し、反物、紙、魚が移出され、米、野菜、粉、薪が移入されたのだとか。
明治20年(1887)に東北本線が開通すると、流通は荷馬車から鉄道に移り、大正時代には卸問屋町になっていたという。
後から確認すれば、この「新伝馬丁」付近が元「中央通り商店街」で、現在「クリスロード商店街」に改称したのだとか。
散歩中に気になったのがこの風景。気にはなったが小心者なので覗き見しただけだ。
その「クリスロード商店街」のページによれば、ここは通称「みたきさん」と親しまれる真言宗智山派の加持祈祷の寺「三瀧山不動院」とのこと。
慶応元年(1865)、住職の加藤タケ尼律師が眼病平癒を祈り、お不動さまに供える水を汲みに出た時、偶然4寸ほどの不動明王像を拾い上げたとのこと。それを安置したところ、突然神がかり状態となって、予見が全て的中するようになったのが開山の縁起なのだとか。
仙臺四郎の姿が、この不動尊に安置されているらしい。この仙臺四郎が仙台では商売繁盛のシンボルだとの話は聞いた事がある。
商店街のページによれば、仙臺四郎は仙台に実在した人物で、江戸末期に鉄砲職人の子として生まれ、明治30年頃に没したとされるのだとか。
彼は、ほとんど言葉を話さず、毎日街を徘徊していたという。ただ、彼が抱いた子どもは丈夫に育ち、立ち寄った店は必ず繁盛するので、人気者だったという。
仙台では、そのご利益にあやかりたいと、今でも四郎の姿を飾るお店が沢山あるという。
寺に、その四郎の姿を安置されるのは、平成になってからの話のようだ。
バブル崩壊による不景気からの脱出を願って、商店主たちが仙臺四郎の姿を形作って「みたきさん」に拝んでもらったものなのだとか。