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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台散歩②~島崎藤村氏と布施淡氏と

 島崎藤村氏が最初に滞在したという「針久支店」の地点を確かめたのは、「愛宕山散歩40~愛宕山公園を訪れた文人案内」とのかかわりだ。愛宕山公園では、島崎藤村氏は、画家の布施淡氏の東北学院教師同僚で深い交友関係があった方との紹介だった。
 島崎藤村氏側から情報を探るのは、仙台ではその方が情報を得やすいからだ。自分としては、それほど興味のある方ではない。

 藤村氏が、その居を「針久支店」から直ぐに支倉町の池雪堂へ移すというが、ここが布施淡氏宅だったようだ。そこから更に、田代家に移動するが、これも布施淡氏と一緒だったということのようだ。
 今回そちらの散歩予定はないが、散歩情報として整理しておく。位置情報を得たのは東京紅團(東京紅団)のページが中心で、その情報を現地図上にプロットしてみた。
a0087378_14411696.jpg 藤村氏が、「針久支店」から移った先が、支倉町のとのことだ。ここが布施淡氏宅だったということのようだ。藤一也氏の「仙台時代の藤村」にその位置情報があるという。
 「北四番丁通りと支倉通りの角(西側)にあって、支倉町10番地の田代家とは同じ支倉通りにあり、目と鼻の先になる」とあるという。この「北四番丁通り」が、現地図の「作並街道」かなという想像で、その交差点の西側に池雪堂をプロットしてみた。
 支倉町10番地の田代家は、次に藤村氏が居を移した所だが、ここも布施淡氏宅と一緒だったと思われる。
 こちらの更に詳しい位置情報が「当時の支倉町10番地は現在の支倉町一丁目五番地に当たる」事と、「一丁目六番地の方が藤村田代家」ということで、現支倉町一丁目五番地を⑤として、一丁目六番地を⑥として表記してみた。

 藤村氏は、ここから若菜集を創作したことで有名な名掛丁三浦屋に居を移すようだが、その辺りが藤村公園になっているらしい。こちらは多くの位置情報がある。
by shingen1948 | 2015-02-26 14:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)