地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩40~愛宕山公園を訪れた文人案内

 「愛宕山公園入口」に建つ案内板には、この愛宕山を訪れた他の文人も紹介されている。
 「愛宕山頂上からの遠望は『屏風を建てたらん如く、西に吾妻山…』との題で、画家の布施淡氏が以下のように解説される。
a0087378_7383973.jpg 島崎藤村と東北学院教師として同僚で交友関係にあった、画家の布施淡は所用で飯坂を訪れ、愛宕山などを散策。そのとき、頂上からの眺望の素晴らしさに感嘆。
 その夜、早速、藤村に手紙を書いています。
 「食事をすまし、湯に入り君を思いつつ筆をとる」に始まり、当時の飯坂・湯野の様子、景観など細々と書き連ね、その中で「屏風を建てたらん如く」と愛宕山頂からの眺めをたたえています。
 (以下略)
 仙台のその道に詳しい方の間では、画家の布施淡氏も知られた方のようだが、ここでは、「島崎藤村と同僚で交友関係の深かった方」ということを肩書にして紹介される。仙台にかかわりある文人として名が通るのは、島崎藤村氏と土井晩翠氏だからだろう。

 島崎藤村氏とのかかわりを確認すると、東北学院教師として同僚で交友関係にあったことが分かる。
 島崎藤村氏が東北学院教師として仙台に赴任するのが、明治29年(1896)で、最初に滞在するのが、駅前の「針久支店」のようだが、すぐに支倉町の池雪堂(庵)に移るのだが、それが同僚の布施淡氏宅で、ここに身を寄せたということだ。
 まもなく布施一家は同町の田代家隠宅に移り住むのだが、藤村氏も一緒に移っているようだ。「若菜集」が書かれたということで有名らしい三浦屋へ移るのは、その後の話らしい。

 藤村氏の母がコレラで死んで永昌寺での葬儀と埋葬のため馬籠に帰省するあたりが、この布施一家と同居している時期だったとする島崎藤村氏側の資料をみる。
 たまたま布施氏は写生旅行に出ていて、藤村氏は土井晩翠氏と思われる?方と広瀬川畔を散策、一見亭という茶屋で一献傾けて帰宅した時だったという。
 布施淡氏が飯坂を訪れ、愛宕山などを散策し、藤村に手紙を書くのは、この写生旅行の頃なのか、その後なのかは分からない。
by shingen1948 | 2015-02-23 07:40 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)