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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩35~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑲

 天王寺付近の整備はややマイナーな感じはするものの、百合子氏が天王寺付近を散策している当時は「まちづくりの構想」の一つとして開発が進んでいたのだろうと思われる。それで、愛宕山、舘の山に加えて、天王寺付近の散策もしているのだろうと想像され。いずれも、当時公園化の整備が進行していた頃であろうと思われる。
 天王寺周辺の散歩の時点で頂いた情報に関連する事がいくつかある。

 その一つが、天王寺前に建つ「天王寺温泉碑」に関わることで、もう一つが、中野―湯野間の軽便鉄道連結構想だろうか。次の機会には、天王寺前に建つ「天王寺温泉碑」に刻まれる事柄の読み取りろうと思うが、とりあえずは、記憶にある「天王寺湯」を整理しておく。

 飯坂にかかわりのあった頃、その「天王寺温泉」の地点には、「くさっぽ」に効く共同湯「天王寺湯」があった。
自分は、特定の植物を触れると手がかぶれるというアレルギーがあるのだが、そのことにかかわって、ここの湯を紹介されたことを思い出した。半信半疑だったが、何度かここに入りに来たのだが、確かに効いたという印象がある。
 ここは真っ白な湯で、無色透明な飯坂の他の湯とは違うというイメージも残っている。
 その共同浴場の位置は、現「おきな旅館」(当時もこの脇を通って行った)の脇を通ってコンクリートのつり橋の主柱が残る地点の直ぐ西手だった。この時点で、立花屋はなかったと思うが、その奥に旅館風の建物はあって、立花屋はその付近かなとの想像はした。ただ、この共同湯「天王寺湯」と立花屋との関係は分からない。

 もう一つ思い出したのが、地質に興味を持った子供を連れて、ここから河原に抜ける細道があって、そこを通って植物化石を探しにいったり、転がった石ころが岩石に穴をあけたと思われ石を観察に連れて行ったり、穴原温泉側の波の跡の化石が見える地点を観察した事などがあった。

 天王寺散策時に「TUKA」さんから「天王寺温泉碑」についてコメントを頂いて、この共同湯「天王寺湯」を訪ね直した事があった。しかし、この時点では、現「天王寺穴原湯」の共同湯になっていたのだ。
 小心者は天王寺の丘の上から覗き込んで観察するだけで、そのままになっていた。
 本当は、上から覗き込んだ地点と、河原に抜けた細道との交点附近を確認したかったのだが、現「天王寺穴原湯」の共同湯に入ってそのままになっていた。
 なお、こちらの湯は無色透明で、当時の「天王寺湯」の湯質とは全く違って見える。情報によれば、こちらへの移動は昭和61年とのことだ。

 大正12年創業「おきな旅館」のホームページを確認してみる。
 「アトピー皮膚炎でお悩みの方へ」とあって、「昔から皮膚病でお医者さんに行って治らない人は“天王寺温泉に行け”と言われています。 2日位宿泊し入浴されると効果が実感できるはずです。」とあり、「くさっぽの湯」は健在のようだと思った。ただ、紹介写真を見る限り、無色透明の湯のような気がする。

 地図では、共同浴場「天王寺湯」だった所の奥に、「かじか荘」がプロットされる。
 そのホームページを確認すると「元湯・穴原天王寺温泉より引き入れております。源泉の温度は60度です」とある。こちらもイメージとは違うらしい。
 飯坂に関わった頃、「かじか荘」と聞けば、万人風呂をイメージしたものだが、こちらもその万人風呂とかかわるのかもしれない。
 この万人風呂は、一度だけ利用したことがある。名称は万人風呂とでかいのだが、千人風呂より、はるかに小さい浴槽というのが印象的だった。
by shingen1948 | 2015-02-17 07:04 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)