地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩33~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑰

 百合子氏は、愛宕山、舘の山、そして、天王寺付近を散策している。いずれも、当時公園化の整備が進行していた頃であろうと思われる。
 現在も愛宕山、舘の山は、公園としての整備が継続されているようだ。それに比べれば、天王寺付近の整備はマイナーな感じはするが、当時は、「まちづくりの構想」の一つとして開発が進んでいたのだろうと思われる。

 百合子氏天王寺散策の第一回目は、祖母と飯坂滞在したときの(1916年)12月17日(水曜)。角屋―千人風呂―天王寺のコースで散策に出かけているようだ。その日の日記。
 昼過ぎてから、いくの息子が来る。私をおいてけぼりにした息子はあんなに大人になって居るので可笑しい心持になっていた。天王寺の方へ行ってみることにして、おいくさんと娘とで出かける。
 道は心持がいい。千人風呂というところは、まだ新開で、あまりよくはない。途中に岩倉公の別邸がある。妾の所有になって居るそうだ。天王寺は、すっかり山かげになって居て、朝の霜がとけずに居る。大変寒い。帰途には、坂道をあがるのにお祖母様の腰を持って、つりあげるようにしてあげた。すっかりあたたかくなった。
 千人風呂には何度か入ってはいるが、妾の所有になって居る「岩倉公の別邸」とやらは知らなかったが、大正9年発行の「ラジウム霊泉郷土之栞(大橋五郎, 堀江清)」に、その紹介を見る。
 元公爵岩倉氏の舊(ふん)別邸
 赤川端の東端金瀧温泉に面したる所にあり、嘗(かつ)て濱野繁氏の建つる所にして大作山、芋殻嶽、大鳥山を望みて老松繁茂し、眺望頗る佳なり、一時元公爵岩倉具張氏の有に帰したりしが、今は仙台の人尾形氏の有に帰せりと言ふ。
 ここに登場した「岩倉具張氏」を確認すれば、三面記事的な紹介が目にとまる。自分は知らなかったが、当時は誰しもが知っていたということなのだろう。
 「途中に岩倉公の別邸がある。妾の所有になって居るそうだ」は、女学生の百合子氏がこの週刊誌ネタへ興味ありと読み取れるということかな。

 飯坂とかかわるのは、岩倉具張氏の負の経歴のようだ。要約する。
 氏は、投機的商人の誘いで土地投機に手を出して失敗。さらに、新橋芸者に通い詰め、ひいきの芸者を落籍してレストランを開かせるなどの放蕩で一族の資産を浪費してしまう。その後始末に困って高利貸に頼った結果、自邸を差し押さえられてスキャンダルとなったという。これら負債累積など家計紊乱の責任を取って宮内書記官等重責の役職を辞任。
 親族会議の結果、家督を長男に強制的に譲らされて隠居させられ、その年の暮より行方不明となるが、1915年に「北海道タイムス」記者によって福島県飯坂町で発見されて、東京に連れ戻されたという。
 その後、詐欺罪で告訴されるが、以後は家族と別居、愛人とともに生活したとか。

 百合子氏天王寺散策の第二回目は、(1917年)3月29日(水曜)で、天王寺の白土を掘りだすところと沼廻りに出かけているのだが、この事については先に整理した。
by shingen1948 | 2015-02-13 15:16 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)