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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩32~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑯

 天王寺付近の自分の飯坂散歩を確認すると、飯坂氏とのかかわりとか、経筒など歴史的な事にかかわる視点で整理されている事が分かる。その視点で、但木氏と伊達氏のかかわり、を確認すれば、伊達氏家臣団の「宿老」に、但木氏〈1500石〉がみえる。このこととかかわるのだろうか。
 宿老とは、「宿徳老成」の人の意味で、十分に経験を積んだ老人を指す言葉とのこと。そこから転じて、古参の臣や家老など重要な地位に就く者の称となったとのこと。伊達家臣団では、政宗の初期から側近として仕えたものが多いとか。
 その伊達藩重臣だったとされる但木氏が天王寺を再興するとされる事情について、「百合子といいざか」の著者吉田氏は以下のように記す。
 明治の中期天王寺は、住職不在の寺でしたので檀家は、僧の適任者を求めていた。(案内者斎藤信夫氏の)祖父の斎藤久助はその世話人として、白石市北の「宮」に居られる但木という僧侶と話がまとまり、天王寺住職として迎える事ができた。
(中略)
 但木氏は、伊達藩の重臣であったことから、仙台では文化人との交流も深く知名度も高い人物であった。
 この初代天王寺住職が但木文雅氏である事、2代目は次男の文董が継ぐ事が紹介される。その文董氏が天王寺温泉に立花屋という旅館経営の発展に尽くした事、その業務には妹のフミさんがあたった事、福島軽便鉄道に勤務もしていたし、長期に町会議員もしていた事等がし溶解される。
 この2代目が、天王寺公園をつくる開発事業を手掛けたということだ。
 「ふくしま散歩」で、この事と重なる情報を拾えば、「天王寺の経筒とパラソルの碑など」の項に以下のように紹介されている。
 天王寺温泉はもと立花屋といって、代々「但木家」の経営していた旅館であった。かつては飯坂町長をした文董氏もこの出であるが、(中略)この立花屋には文人墨客が避暑のため訪れる事が多く、文董氏の妹「文尾」さんなどが誰彼の別なく面倒をみてくれたことも、今は語り草となってしまった。

 ここで見えてきたのは、天王寺を中心名とした「まちづくりの構想」とでもいうべきものだ。百合子氏は、その匂いを感じて天王寺散歩に向かったのではないのかな。
 よそ見や寄り道を大切にした散策を心がけていたつもりだが、削ぎ落してしまった視点だったとの反省。
by shingen1948 | 2015-02-12 06:48 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)