愛宕山散歩30~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑭
2015年 02月 10日
「悪徳の金貸的、地元地主の海老屋の年寄り」のモデルも飯坂に求めるのも作品論の視点からは深読み過ぎなのだろうと思う。
確かに、戦後になって、この作品が高く評価されるようになったのは、「明治以来の日本文学の中で農村における封建制を、そのもっとも悪質なる典型の一つにおいて、これほどはっきりえぐり出した文学はほかにない。」というふうな、その「リアリスティックな要素」への注目であったと木村氏は指摘する。
一方で、氏は「禰宜様宮田」の魅力は、「リアリスティックな要素」と「ロマソディックな要素」とが複雑にからみ合って成立した一篇のユニークな農民小説」と指摘する。この説に賛成するのは、お世話になったからという事ではなく、作品としてそうとらえたいということだ。
というのは、主人公のどこか現実離れした善良純朴な人柄・息子の「六」少年の孤独で哀な姿、しばしば擬人化される抒情的な自然描写などにつきまとう「ロマンティックな情感」・「牧歌的な要素」が、この作品の魅力になっていると強く感じるからだ。
もう一つ、「禰宜様宮田」作品全てが、直接飯坂と結びついているという捉えはしたくないということもある。
木村氏が言うように「作者は、飯坂の「取材メモ」のなかから小説としてのフィクションをふくらませる種となるものだけを取捨選択している」のだと思う。
百合子氏は、確かに飯坂でも「リアリスティックな要素」の関係性の影は感じてはいるのだろうと思うのだが、それを強調すれば、かえって作品の魅力が半減してしまうというのだと思う。
ただ、郷土史の造詣深い方が、現在も観光の目玉の一つである「次男が、後年、大戦終結後、崩壊した日本資本主義の、再建の第一線に一定の役割を果たした人物」を、、「禰宜様宮田」作品の読者としての立場から、海老屋のモデルと重ねて見るというのは、郷土観に新たな視点を与える観え方になっているというインパクトを与えるのだとは思う。