愛宕山散歩29~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑬
2015年 02月 09日
そのもうちょっと確認したい事の一つが、地域を知り尽くしているが故の深読み過ぎの部分だ。作品論としては深読み過ぎとの評価になろうが、散歩を楽しむ者にとっては、作品に誘発されてエピソードが披露されたとみえるのだ。
例えば、作品の最終章で六さんが墜死するのだが、その事について著者を案内した斎藤信夫氏は、次のようにふれている。
悲運の禰宜様の終局の到達点は、息子六の鉄索からの墜死であるが、その当時神事に関係があったらしい男性の、鉄索からの投身自殺という珍しい事実があった。(その検視に立ち会った方が、最近幼児の時の経験を語られた)。その事件に着想を得られたとすれば、百合子のジャーナリスティックな一面に驚く外はない。
著者の吉田氏は、本章の「百合子の足跡を行く」の「愛宕山」の項で、このことにふれている。
百合子が宿をとった角屋(現在のホテル聚楽)・丸正(現在の福住旅館)は愛宕山の眼下にある。また、鉄索の始発点、暮坪は丁度愛宕山の麓にあり、ここから茂庭までの策動全線もよく見通しのきく愛宕山である。湯野から愛宕山の後ろを通って芋がら舘の北を通って茂庭に入ろうとするあたりで鉄索から墜落死した住民のいることも、その時母と一緒にその現場を見たという確かな話も、今聞く事ができる。斎藤氏の「その検視に立ち会った方が、最近幼児の時の経験を語られた」ということと、著者の「その時母と一緒にその現場を見たという確かな話も、今聞く事ができる」とする事が重なる事なのだろうと想像する。
百合子氏が見たか、これが作品に反映されたかは知らないが、散策人としては、少なくとも「鉄索からの投身自殺」の事実はあったのかなとは勝手に思う。