愛宕山散歩26~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑩
2015年 02月 05日
〇 愛宕山散歩⑩~小説家「宮本百合子文学碑」
http://kazenoshin.exblog.jp/20732241/
〇 愛宕山散歩⑪~小説家「宮本百合子文学碑」②
http://kazenoshin.exblog.jp/20743744/
碑の裏面にその建碑趣旨が刻まれる事についてはその時にふれたが、「百合子といいざか」によれば、これは秋山政一氏の筆跡なのだとか。
氏と直接お会いした事はないが、散歩資料として使用させていただいた「ゆの村」を整理された方であり、東湯野村の発掘調査を整理されていた方という事で当方は知っているつもりの方。
更に、ここで「地元有志の協力」とあったことにかかわって、斎藤氏を中心とした散策の協力があり、碑の建立には秋山氏の協力があったということが分かる。
ここで「地元有志」は、地域の歴史に詳しい方ということであることを確認しておくのは、宮本百合子氏を評価する立場が、文学者としてだったり、女性の活躍とのかかわりだったり、プロレタリア文学としてだったり、もっと、イデオロギーにかかわるという視点からだったりするからだ。
この文学碑が、地元の温泉街を素材にした作品を創作した文学者としての視点であることの確認だ。
なお、この碑の実際の建立は6月とのことだが、碑には「1989年2月13日」が刻まれる。これは「百合子生誕90周年」の日とのことだ。本当は、この日までに建立したかったということだが、遅れてしまったとのことだ。
碑の前面だが、百合子氏の言葉の脇に、ユリがデザインされる。
そのテッポウユリは、建立者である吉田千代子氏が描いたものだが、山百合は、秋山氏が描いたものなそうだ。
文学には疎いので、このままでは落ち着かないのが、刻まれた言葉だ。
「百合子といいざか」にもその出典や詠まれた背景にはふれられてない。ただ「百合子文学碑を建立して」の中で、「百合子の探究心と英知『あすの空に 伸びゆく芽生 いま萌えて』の言葉は、老若男女各々に永遠に語りかけ、百合子作品の出会いの『質』をみる思いである」とあるだけだ。
それで、とりあえず勝手な解釈を試みる。
まずは、百合子氏の「あす」という言葉に込めるイメージの手がかりをみつけ、それから「伸びゆく芽生 いま萌え」るというイメージに広げて見ることにする。
以下の「『明日への精神』あとがき」を、「あす」という言葉に込めるイメージの手がかりとする。
今日の私たちの生活にとって、明日というものは、世界の歴史のなかで考え得る最も複雑な内容で予想されるものとなって来ている。きょうからあしたへのうつりが、ただ夜から朝へのうつりかわりだと感じているひとは、もう一人もいないだろうと思われる。明日をよく迎えたい心は、今日の生活を一層切実に愛し、そこから学べるだけのものを隈なくとって、明日へつづく自分たちの二度とはない生命を花咲かせたい願いをもたせる。
私たち女のその願いの熱い脈搏が、ここに集められたもののなかに響いていて、その自然な響きが又ほかのいくつかの胸の裡に活々とした生活への脈動をめざまさしてゆくことが出来るとしたら、ほんとうに歓ばしいと思う。(昭和15年9月)
なお、資料を探す中で、百合子氏の名言として結構有名なのが、「うららかな春は、きびしい冬のあとからくる」という言葉であることを知る。