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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩23~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑦

 吉田氏は、百合子氏が白土を掘りだす所に行ってみたことと、「禰宜様宮田」第4章「手近な賃働き場として白土を運ぶ背負い人夫になっている場面とがかかわるとする。
 その百合子氏が行ってみた白土を掘りだす所は、現白土工場ではないそうだ。

 「百合子といいざか」では、「白土のこと」の中で地元の斎藤氏の話としてその地の推定が紹介される。どうでもいいことだが、この「地元の斎藤氏」は飯坂駅前斎藤薬局の御主人らしい。
 昔は白土といったこの土は、天王寺公園あたりから南西裏山の古河岩の東部に抗口があり、この山はその頃松浦という人の所有であった。採算がとれず手放され操業をやめてから久しいが、百合子さんの見た現場はここではなかったかと思われる。
 ここの赤川上流は、天王寺に近いところなので歩くコースから判断できる。
 ここで「南西裏山の古河岩」と紹介される「古河岩」は、現すりかみ浄水場の高台の南西に位置する小字名だ。
 先に天王寺公園の散歩を整理したことがあるが、百合子氏は更にその奥まで足を延ばして散策している事が分かる。健脚だ。

 白土の用途イメージだが、ぱっと思い浮かぶのはクレンザーだが、作品では「米を搗(つ)くときに混ぜたり、磨き粉に使ったりする白い泥」とされる。主な用途は、その前者らしいのが意外な感じがする。
 この福島白土は、備州、信州、房州白土とならんで、主に関東以北に出荷されていたという。

 もう一つの注目は、この斎藤氏の感慨として紹介される白土の出荷ルートだ。
 中野―長岡駅間を荷馬車数台で運搬したので盛観なものだったとある。茂庭から出荷される木炭もこのルートで運搬されるなど、出入りする交錯は飯坂町の活気に満ちた風景であったとのことだ。

 このルート、湯野から長岡駅は軽便鉄道のイメージが重なり、その鉄道の十綱駅へは、茂庭策動とつなぐトロッコ道がつながっているはずだ。その茂庭策動のイメージが「禰宜様宮田」の制作動機になっているという、廻り廻ってつながるようなのだ。
by shingen1948 | 2015-02-01 08:27 | Comments(0)