地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

愛宕山散歩22~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正⑥

 「百合子といいざか」の吉田氏は、「日記」―「作品」のかかわりの中で飯坂の反映を考察する。従って、木村氏より多くの場面にその反映を考察する事になる。

 宮田が、作品の第5章で道路人夫になることと「創作メモ」とのかかわりについては、木村氏の論をもとにして先に整理した。その前段で、宮田は第4章では手近な賃働き場として、白土を運ぶ背負い人夫になっている。吉田氏は、その場面と3月29日(木曜)の以下の白土を掘りだす所へいってみたことが、この白土運びの場面とかかわるとする。
 ズーと白い泥を掘り出すところへ行ってみる。あんまりすべてが粗野なので大変気味が悪いような心持がした。掘り出した泥を天日で乾かすために、笹の葉で屋根をかけた棚に蚕を置くまぶしのようなものに泥をならべて、幾段も幾段もおいてある。
 何だか生蕃(?)の首棚のようで、非常に気味が悪かった。」
 対比するとする「禰宜様宮田」第4章「手近な賃働き場として白土を運ぶ背負い人夫になっている場面。
 重い白土の俵を背負って、今日も禰宜様宮田は、急な坂道を転がりそうにして下りて来た。
 窮した彼は、近所の山から掘り出す白土――米を搗(つ)くときに混ぜたり、磨き粉に使ったりする白い泥――を、町の入口まで運搬する人足になっていたのである。
できるだけ賃銭を貰いたさに、普通一俵としてあるところを、二俵も背負っているので、そんなに力持ちでもない彼の肩はミシミシいうように痛い。
 太い木の枝を杖に突いて、ポコポコ、ポコポコ破れた古鞋(ふるわらじ)の足元から砂煙りを立てながら歩いて来た禰宜様宮田は、とある堤に荷をもたせかけるようにしてホッと息を入れた。
 さっき行った人足も、やはりここでこうやって休んだとみえて、枯れかけた草を押し伏せて白土の跡が真白く残っている。
 滲み出した汗を拭きながら、彼はあたりを見まわした。
 すべてが寂しい。
 滅入るように静かな天地には、もうそろそろ冬の寒さが争われない勢を見せて、すがれた叢(くさむら)、音もなく落葉して行く木立の梢を包んで底冷えのする空気がそこともなく流れている。
 やがては霜になろうとする霧が、泥絵具の茶と緑を混ぜて刷いたような山並みに淡く漂って、篩(ふるい)かけたような細かい日差しが向うにポツネンと立っているの大木に絡みつき、茶色に大きい実は、莢(さや)のうちで乾いた種子をカラカラ、カラカラと風が渡る毎に侘しげに鳴りわたる。
 その後、白土運びより賃金がいいという伐採の仕事に移って、第5章につながる。
Commented by TUKA at 2015-01-31 21:23 x
白土は当時のこの地方では主要な産品だったようですね。
中野まで飯坂電車の延伸計画がありましたが、白土の運送が目的でした。
結局、電車は通らず、索道ができただけでした。
Commented by shingen1948 at 2015-02-01 06:03
湯野側の地元反対と摺上川を渡ることの難しさもあって計画が断念されたと情報があります。
その話とつながる情報ですね。
情報、ありがとうございます。
by shingen1948 | 2015-01-30 16:53 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(2)