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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩⑰~小説家「宮本百合子文学碑」情報修正①

  「愛宕山散歩⑯~小説家『宮本百合子文学碑』⑦」まで整理してきたところだが、ここまでの情報の誤りを修正しておきたい。
 今までは、整理の途中で誤りをみつけても、とりあえずは先に進んで、後で修正しようとした。ところが、そのままになってしまうことが多い。それで、最近は気付いた時に修正してしまおうというふうにしている。

 まずは、飯坂温泉への交通手段から。
 「愛宕山散歩⑫~小説家『宮本百合子文学碑③』」で、当時の交通事情から福島駅前―長岡駅―飯坂湯野駅の軽便鉄道を利用されたものと推測していた。
 http://kazenoshin.exblog.jp/20751134/
 これが大外れで、間違い。乗合自動車利用だった。

 まずは、大正5年(1916)12月15日(金)の日記から。
 「12時半ごろの汽車で飯坂に行く。石井のおみよさんも一緒に行くように誘ったけれ共 家の都合で行かれなかった。福島まで2等で75銭安いものだ。それから自動車で角屋までゆく。乗り合いで、そんなにきたなくない。一緒に乗った男は、米沢人で、糸織のもんぺをはいて居た」とあるようだ。

 次が、構想ができて飯坂再訪となる大正6年(1916)3月27日(火曜)の日記から。
 「天気が大変定まらない。晴れたり曇ったりして、ときどきは雪まで降ってくる。けれどもあまのりのびると困るので、今日は飯坂に立つことにする。
 2時の汽車のつもりで買い物のために早く出たら、12時のに間にあった。福島へ着くと、自動車がなかなか出ない。4時すぎまで待たなければならないので、市を一寸見る。」
 この後、福島駅前―長岡駅―飯坂湯野駅の軽便鉄道について百合子氏の見え方が続くので、そこまで引かせていただく。
 「市を一寸見る」に続いて「流石に大きい。けれども誰かが汽車の子だといった軽便が地面を扨う(※這うかな?)ようにして通って居るのは、堂々とした日本銀行支店とあまり対象が滑稽である」とあるようだ。

 乗合自動車利用なら、現飯坂街道の道筋の可能性がある。
 それで、そちらの当時の状況を確認すると、万世大路部分は、明治9年~明治14年に建設されている。
 笹谷の分岐点から先の飯坂街道だが、こちらが、温泉好きの県令三島通庸が飯坂に通うために明治17年に開削されている。当時は、人力車道だった。
 可能性が高い。ここからは、当時の飯坂乗合自動車にかかわる情報とのつき合わせが必要かな。
by shingen1948 | 2015-01-25 08:30 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)