地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩⑯~小説家「宮本百合子文学碑」⑦

 作品では、福島盆地の眺望を次のように描写する。
 目の下を流れて行く川が、やがて、うねりうねって、向うのずうっと向うに見えるもっと大きい河に流れ込むのから、目路も遙かな往還に、茄子(なすび)の馬よりもっと小っちゃこい駄馬を引いた胡麻粒ぐらいの人が、平べったくヨチヨチ動いているのまで、一目で見わたせる。
 河の水音、木々のざわめき、どこかで打つ太鼓の音などは、皆一つの平和な調和を保って、下界から子守唄のようになごやかに物柔かく子供の心を愛撫して行く。
 「目の下を流れて行く川」が摺上川で、「向うのずうっと向うに見えるもっと大きい河」が阿武隈川だ。木村氏は、ここに描かれる事と先に確認した日記の記述とが照応することから、この描写の心境は、作者百合子自身のものにほかならないとする。

 他に「『禰宜様宮田』創作メモ」の「飯坂に関して」で気になるのが、新道工事。
 あの新道は、明治37年(3月頃から4月ごろまで)の戦争の始まるときに着手した。その年は飢饉だったので、貧民救済事業として行われたので、県庁の保助があった。女から子供まで。
 人員 二三百人   ダイナマイトのきかない岩は何?
日数 二月位。
 飯坂近辺の明治37年頃の新道工事は、今のところ確認できていない。

 このメモが、作品で活かされるのは、第5章だ。
 主人公である禰宜様宮田は、年貢が治められずに、仕方なく新道開拓工事の人夫として働く事になる。その場面だ。
 宮田は、温和な正直者として、仲間に馬鹿にされながらも黙々と働く。その挙句に工事用のローラーの下敷きになっておしつぶされあっけなく死んでしまう。
 木村氏は、現実には「貧民救済事業」として行われた新道開拓工事が、作中では主人公の「救済」の場とならないというコントラストに視点を当てている。それまで、幾重にも収奪され追いつめられた主人公が最後に悲惨な圧死を遂げる場面として設定していることに着目しているのだ。
 更に、氏は、開拓工事にかかわる自然の描き方にも着目している。
<開拓工事で切り倒される森の木々が、擬人化され、もがき苦しみ、抗議の声をあげている描写には、若々しい「ロマンティックな情感」がみなぎり、それがおのずから自然破壊に対する抗議の声となっている>ことに着目している。

 この辺りまでの「飯坂に関して」のメモと作品との相応は自分の感性でも読みとれたが、ここまでだ。流石だと思うのは、氏が、飯坂取材と六の母親であり、主人公である禰宜様宮田の妻である「お石」の姿のかかわりにまで読みを深めることだ。
by shingen1948 | 2015-01-24 06:40 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)