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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩⑭~小説家「宮本百合子文学碑」⑤

 日記によると、百合子は、飯坂に泊まっていた1回目の時も、2回目の時も、「架空索道」を見に行っているという。
 青空文庫で「『禰宜様宮田』創作メモ」を確認すると、架空索道については、次のように整理されている。木村氏は、これは地元の人たちから聞き取って整理したものだろうと推測している。
 (一) 索道は、今から5年前に出来た。
 (二) もいわ、の村から荷を運搬するためで、12円50銭ずつの株式組織である。が、今は利益は全然な く、2円50銭、3円で、1株が売買されることになって居る。
 (三) 今のところ廃する問題はないが、こんど改築のときがあやしい位費用だおれになって居る。
   もいわ、の鉱山からどしどし鉱石でも出れば、又鉱山の専有にでもなれば有望でないこともない。
 (四) 価格のやすいものはやすい金でとりあつかってくれる。ときどき荷が落ちることがある。会社で、その代をはらう。
 (五) 何か1つどこかで荷が落ちると、その震動がどこまでも伝る。そしてあの椅子が少し弾むようになったときにあのくいついたところがはなれる。
 (六) 個人的のものをとりあつかって、とめ置きも、配達もしてくれる。ときには、もいわの田舎人が自分の かいものをのせて行ってもらうこともある。
 自分の散策とのかかわりで興味深いのは、「索道は、今から5年前に出来た」とあること。「今から」というのを、構成メモができた頃とみれば大正6年。それから5年前に出来たということで、茂庭策動ができたのが大正元年頃ということ。
 なお、ここで「もいわ」とするのは「茂庭」のことだ。木村氏は、そう聞きとれたのだろうと推測している。

 「禰宜様宮田」も青空文庫で確認できる。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/2027_49536.html
 作品でこの「架空索道」が出てくるのは、第六章の結末部においてだ。
 「創作メモ」「架空索道」の部分は、作品では次のように活かされる。「茂庭」は、ここでは「三里ほど山中の、至って交通の不便な部落」とされ、村名が「藻埴(もいわ)」とされる。
 町ではこの一ヵ月ほど前から、――町架空索道株式会社というものが新しく組織されて、町外れに、停留場とでもいうのか、索道の運転を司りながら、貨物の世話をするところを建てていた。
 三里ほど山中の、至って交通の不便な部落から、切石、鉱石、蒔炭の類を産するので、町への搬出を手軽く出来るように、町からそっちへ売りこむ日用品をも楽に供給するために、出来たことなのである。
 ずいぶん粗末な小屋掛け同様の建物が出来、むこうの部落まで、真中に一ヵ所停留場を置いて、数間置きに支柱が立って、鋼鉄の縒綱が頂上の滑車に通り、いよいよ運転を開始したのは、もう七月も半ば過ぎていた。

by shingen1948 | 2015-01-22 07:43 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)