地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩⑫~小説家「宮本百合子文学碑」③

 大正5年12月15日からの宿泊先だが、先に与謝野晶子氏の歌碑について整理した時と同じ角屋のようだ。

 当時の飯坂温泉へ向かう交通事情は、与謝野晶子氏の時代と大差ない。
 明治41年奥州6県連合会の共進会の開催に合わせて、突貫工事で4月14日に軌道敷設が完成した福島駅前―長岡駅―飯坂湯野駅の軽便鉄道を利用されたものと思われる。半沢氏の「歴史地図」メモによれば、現飯坂街道は温泉好きの三島県令が明治17年に開削したとの事だが、当時は人力車道だったのだとか。
 したがって、その利用は、次の2案かな。
 その一案が、長岡駅まで東北本線で、そこから飯坂湯野駅まで軽便鉄道を利用するもの。
 もう一案が、福島駅まで東北本線で、そこから長岡駅を経由して飯坂湯野駅まで軽便鉄道利用するもの。
 いずれにしても、湯野側から十綱橋を渡って飯坂温泉入りだと思う。

 その十綱橋だが、与謝野晶子氏の渡った2代目の橋は、大正2年8月の大洪水で流出してしまう。
 3代目の鉄アーチ橋になるのが、宮本百合子氏が飯坂を訪れる前年の大正4年。ということで、氏は真新しい十綱橋を渡ったと思われる。

 与謝野晶子氏の「寒水石の湯槽」とのかかわりで、角屋の内風呂が気になっていたが、この角屋の内風呂の様子がわかる絵葉書きを見た。「東北工科大学東北文化研究センター」の「アーカイブス」がリンク自由との事なのでつなぐ。
 鯖湖湯前に子規と一緒の句碑として建っている与謝野晶子氏の「わが浸る寒水石の湯槽にも月のさし入る飯阪の里」とのかかわりだ。
 この時には、散歩人の勝手過ぎる想像として、鯖湖湯よりも角屋の内湯、あるいは滝の湯の方のイメージに近いと感じていた。ここでは、前後の句から白っぽいつるつるした湯槽をイメージでよいとした。
 これが、以下の寒水石そのものなのかどうかは知らない。ただ、イメージした風景には近いように思うが、どうだろうか。
 (※ 寒水石=炭酸カルシウムの結晶のひとつ方解石の一種で、主に建築・造園や彫刻などに使われる加工に適した石材)
 宮本百合子氏もご宿泊との事なので、角屋玄関の絵葉書ともつながせていただく。「花水館」は最近まで現存し、「枡屋」は最近更地になってしまったが、玄関付近がイメージできる松が残っていた。しかし、「角屋」は、自分が飯坂にかかわる時には「ホテル」に変貌した後で、道路側からの風景が実感を持ってイメージできないでいたのだ。後ろに写り込んだ山から何となくイメージ出来た気分になっている。
by shingen1948 | 2015-01-19 10:02 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)