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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩⑨~「与謝野晶子」歌碑⑦

 同行者とされる方々のうち、与謝野晶子・寛氏、佐藤春夫氏は名前だけは存じ上げている。しかし、他の方々については全く知らない。
 それで、それらの方々が与謝野晶子・寛氏の飯坂の旅同行者として結びつく事の確認する。

 まずは、水上瀧太郎氏、本名は阿部章蔵氏とのこと。
 氏の文学にかかわる仕事は、大正15年に休刊となっていた「三田文学」を復活したことが大きいようだ。
 飯坂への旅の明治44年は、氏の慶応大学卒業前年。この頃の氏は「三田文学」に「山の手の子」を発表し、久保田万太郎とともに三田派の新人作家として注目された頃らしい事が分かる。

 次は、江南文三氏だが、この方は東京帝大に入学し、石川啄木が創刊した「スバル」の後を受けてずっと発行編集をする方のようだ。
 この引き継ぎが、飯坂の旅の前年明治43年。この頃、その「スバル」に自らも詩歌小説を発表していた方のようだ。
 名編集人といわれたそうで、与謝野寛・晶子夫妻や森鴎外にかわいがられていたのだとか。

 更に万造寺斉(差違)氏を確認する。
 「明星」「スバル」等で活躍した歌人で、大正7年郷里鹿児島県の農地を小作人にゆずり,京都に移り住むと紹介される。
 その生誕地には、記念碑が建っているらしい。そして、その解説には「明治41年(1908)東京帝国大学英文科入学と同時に、与謝野寛の門下生となり石川啄木、高村光太郎、北原白秋などとも交友を深めた」とあるらしい。飯坂の旅明治44年夏は、氏の東京帝国大学卒業の年かな。
by shingen1948 | 2015-01-16 06:30 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)