地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩⑦~「与謝野晶子」歌碑⑤

 この飯坂への旅は、会津への旅の行程の一部らしい。
 東山温泉新滝旅館の歌碑の案内板には、「飯坂からこの地(会津)に来遊した。その折、ここ新滝旅館に宿をとり、緑深い山間の風情と湯川の清流にしばし旅の心をやすめた」とあるらしい。

 細かい事で気になるのは散歩人の習性。
 旅の目的とかかわる部分で、ふくしまの舞台「飯坂温泉」では講演会帰りとするのだが、会津の解説では「明治44年(1911)8月、与謝野寛、水上滝太郎、佐藤春夫、万造寺差違、江南文三らと吟行の旅に出て」となることが気になる。

 実際の動きが確認できればいいが、それが無理ならどちらが自然かという見極めをしたい。ということで、まずは同行者を確かめてみる。
 同行者の佐藤春夫氏を確認すると、この2年前の明治42年(1909)に歌人の与謝野寛氏、洋画家の石井柏亭氏、評論家生田長江氏を招いた文芸講演会で、講師が来るまでの20分間、「偽らざる告白」と題して講演をしているらしいという情報がある。
 この時、春夫氏は中学5年生だが、この講演が問題となり無期停学となるらしい。ただ、翌年には中学を卒業して、上京し慶應義塾大学予科文学部に入学するらしい。
 この講演会に登場する与謝野寛氏、石井柏亭氏、生田長江氏とのかかわりは、「すばる」創刊号に春夫氏が短歌を発表したことがきっかけらしい。
 なお、無期停学になるのは、他に同盟休校事件の首謀者とみなされたこともあるような情報も見る。

 明治44年(1911)は、上京2年目。
 この年の春夫氏も平穏ではないようだ。
 大逆事件の判決で大石誠之助氏という方が処刑されるが、この方が氏の知り合いだったようだ。彼の死にショックを受けた氏は、大石を弔う詩「愚者の死」を矢張り「すばる」に発表するようだ。
 国や裁判の不正に対して憤りを感じていた人々から共鳴を受けて多くの人に知られるようになったとある。これが、1月の出来事だ。

 水上滝太郎氏、万造寺差違氏、江南文三氏も確認すると、慶應義塾大学かかわりの若手の文芸者のようだ。また、与謝野寛氏も11月に渡航するようだが、その前の精神状態のようなのだ。ということは、講演会帰り説には少し無理があるように思う。
 講演会帰り説の出どころは、明治42年(1909)のエピソードからの類推なのではないかなと想像する。
 
 結局、この旅の目的は弟子たちとの吟行の旅だったのではないかなとするのが自然かなと勝手な想像をしておくということで。
by shingen1948 | 2015-01-14 10:22 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)