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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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愛宕山散歩⑥~「与謝野晶子」歌碑④

 案内の機会を与えられなければ、飯坂の与謝野晶子の作品に目を通すことはなかったと思う。したがって、愛宕山散歩で得た感覚と詠まれた歌とを照らし合わせて見る事もなかった。
 今回、その機会が与えられたのだとも思う。

 それで気になったのが、飯坂で詠んだと思われる次の2首。
 飯坂のはりがね橋にしづくしる吾妻の山の水いろの風
 吾妻山うすく煙りて水色す摺上川の白きあなたに

 特に、「吾妻の山の水いろの風」と「吾妻山うすく煙りて水色す」の部分で、飯坂の風景に、吾妻山が意識されて重ねられている事だ。
愛宕山散歩⑥~「与謝野晶子」歌碑④_a0087378_16442727.jpg これは愛宕山から十綱橋を見ているのだが、どこかで吾妻山をも感じている。

 愛宕山からは、飯坂の里が一望できるのだが、その遠景には吾妻山を感じて眺めているのだ。その中の愛宕山から見える十綱橋の風景だ。写真には写らないし、特に意識には上らないのだが、どこかで感じているのだ。
 その感覚と風景が、詠まれた句にぴったりと重なっているように思えるのだ。
 ただ、これは読み手としての話で、昌子氏がこの山に登ったかどうかは分からない。

 なお、「吾妻山うすく煙りて」とあるのでその頃の吾妻山の噴煙が確認できないか確かめてみた。
 すると、明治44年夏の噴煙の状態は確認できなかったが、明治26年から2年間一切経の噴火が断続的に続いていたらしい。その噴火で調査に向かった技師2人が噴石に当たって死亡しているという。
 それからずっと噴煙があがっていたのだろうか。
by shingen1948 | 2015-01-13 16:47 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)