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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里から東屋沼を意識する⑧

 今回、「種まき兎伝説」を「貝沼の伝説地」と「吾妻信仰」の「東屋沼神社」という視点と結びつけて整理した。しかし、実際には「種まき兎伝説」は吾妻小富士の種まき兎と連動した蓬莱団地内の「兎田」という話に矮小化されている。
 その経緯を確かめて、この話の採取にかかわったのが新しき団地住民の方々だったこととのかかわりなのだろうと推察された。

 今回の東屋沼を意識するための田沢邨の散策は下準備なしの思いつきだが、そこで何となく撮っていた写真を確かめる。
信夫の里から東屋沼を意識する⑧_a0087378_2432780.jpg これは、大宮神社の北側の高台に登る道筋からの風景だ。田沢川に沿って村の風景が広がっているというのが原風景なのだろう。
 「信達一統誌」では、田沢邨を「当邨ハ西に山あり、東ハ大熊川なり 故に其沢ともを開発シて田地を作る、是を以て田沢と名を負せしならむ」と記す。
 この視点も含めて「兎田」の地を確認すれば、この地は確かに蓬莱団地内ではあるのだが、それよりは田沢川右岸沿いの地点という見え方になるのだろうと思う。
 なお、家に戻って確かめて分かったことだが、この大宮神社の脇筋は、姥懐を経由して愛育園に向かう道筋だった。愛育園には、何度かお邪魔したのだが、そのこととこの風景が結びついていなかったと思う。

信夫の里から東屋沼を意識する⑧_a0087378_2453618.jpg 道筋沿いの民家を撮っている。
 「種まき兎伝説」に関わる地をプロットするのに、田沢邨付近の遺跡分布地図を重ねたが、元々の住民の方々の意識は大規模に調査された学壇遺跡を中心に縄文集落や古墳群の方を向いているのかなという思いの反映でもある。勿論、自分の興味でもある。
信夫の里から東屋沼を意識する⑧_a0087378_2485467.jpg 散策を通して印象的なのが沼のある風景かな。
 「信達ニ郡村誌」では、「沼と名る者凡52溜池なり」とし、その中の大きなものとして「五升内溜池」「五百田上沼」「上西勝沢下沼」「宮ノ前下沼」の4つの沼が紹介される。「宮ノ前下沼」は、神社のすぐ上の沼のようだ。
 ここは「沼の上貯水池」で、紹介される4つの沼ではない。凡52溜池の一つでしかない溜池。
信夫の里から東屋沼を意識する⑧_a0087378_2504090.jpg
 ここは、その上部の姥懐と手代森の間の貯水池風景。勿論、ここも凡52溜池の一つでしかない溜池。
信夫の里から東屋沼を意識する⑧_a0087378_252356.jpg
 いつもと違う道筋を走ったはずだが、それてもたどり着くのはこのゴルフ場というのも、印象的に感じたことの一つかな。
by shingen1948 | 2015-01-03 08:40 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)