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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里から東屋沼を意識する⑥

 図説「福島市史」では、東屋沼神社は吾妻岳山上にある湖沼(=現五色沼)が農耕神として崇拝されたものであるとし、信達盆地では、その山上の五色沼と底が通じている貝沼・吾妻沼の伝説地があり、そこには必ず吾妻信仰があると解説される。
 しかし、その確認はなかなか難しい。
 「信夫の里から東屋沼を意識する②」では、「信達一統誌」に「 東屋沼の移しなりとも云う」と紹介される正福寺門前の小さき池を確認したが、現況はその貝沼とされる池もない。ましてや、神社のような崇拝される農耕神を仰ぐべきものも確認できなかった。
 平野の東屋沼神社では、神社が大社であることで権威が増す。そのことによって、素朴な農耕神を仰ぐことが見えにくくなっていると共に、貝沼のイメージが見えにくくなっている。

 それが、田沢邨では貝沼も崇拝される農耕神を仰ぐべき神社も「信達一統誌」に紹介されているままに現存するということだ。
 その上に、田沢邨の吾妻信仰にかかわる伝承が採取されたものが、「信夫の里から東屋沼を意識する③」でふれた「種まき兎伝説」だと捉えるならば、これは興味深い話だ。
 以下は「浄土平ビジターセンター」紹介の「種まき兎」原話
 西嵯峨  柚翁識   
 昭和11年頃 
 採 者 渡利小倉寺 加藤白山翁
 採集者 渡利中山  長沢孝四郎
 校訂者 鎌田丸子  香内佐一郎

昔、田沢村の兎田(うさぎでん)に身なし子がいたど、
山の奥さ小さな田畑を作って暮らしていた。
ある日 山で親子の兎をひろってかわいがっていた。
そのころ このあたりは、日でりがつづいて 田植えが
できない ひどい不作の年だった。
村人は 田沢の貝沼(皆沼)は、西山の雷沼(東屋沼)の底と
つながっていて、吾妻権現がまつられていたので、
ここで 雨乞いしたが、さっぱりききめがなかった。
そこで村人は山伏の先達(あんない)で 大ぜい
雨笠、みの 着て 吾妻山さ登って 雷沼に「雨たんもれ 龍王
やーイ」、といったが、一つぶの雨も降らなかった。
身なし子も 裏山さ登って拝んでいると、二羽のトンビが
天高くとんでいた。
「トンビ ぴいひょろろ 目廻してみせろ」というと
トンビは急に谷へおりていって、白いものをわしづかみに
かっさらって 西山の方さ 飛んでいってしまったど。
飛んでいった先をみると、たまげた。吾妻小富士の横はらに、
親子うさぎの雪形が ありありとあらわれていた。
トンビにさらわれた親子うさぎは 実は山神になって
いたんだと。
そこで 小富士の神に「雨たんもれ 龍王 やーい」と
拝んで 山をおりてみると、びっくりした。
家の前の岩室から、水がこんこんわいて 川さ流れてい
たど。「これはありがたい」と 田んぼに水をひき、種をまいた。
村人にも教えたら、秋になって 村中豊年万作になって、
みんなも福しくなり、その子は 大きくなると長者様になったど。
それから、その田を「兎田(うさぎでん)」(兎田うさぎだ)と、吾妻山の
雪形を「種まき兎」とよぶようになり、いらい種まき、蚕の掃立(はきたて)
の目安となって、村は栄えもうしたど

平成9年5月
「種まき兎」伝説実行委員会

by shingen1948 | 2014-12-29 08:01 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)