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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台山山麓散歩⑪―紫神社の旧地を訪ねる③

 御神木が伐採されたばかりの時期の紫神社跡の写真をみると、2本の御神木の切株は北南の方向に並んでいる事が分かる。
a0087378_5333215.jpg 「笹谷大笹生地区の文化財」には、御神木伐採前の写真が載っている。この写真は、2本の御神木の間から祠が見えている。
 この二つの写真を見比べると、紫神社の祠は、後ろ側の御神木と並んでその東側に建ち、南を向いていたように思う。

 ただ、この境内は東側に広がっていたようであり、「信達一統誌」の表現も東側に広がる田園風景であるように感じる。
 「笹谷大笹生地区の文化財」では、以下の「信達一統誌」の表現を紹介されている。
 「八月朔日(祭礼なり 其日)太陽山の端を出給ふとき神前より東の方数百畝(の間)稲穂の上淡紫となる 春の日水田の干たる所を見ればその色淡紫なり これまたこの地の一奇なり 土人説ニ云ク佐藤庄司の産神にてむかしは大社」
 「信達一統誌」では、ここが「土人説ニ云ク佐藤庄司の産神にてむかしは大社」とし、「笹谷大笹生地区の文化財」でも「この地最古の神社で、蝦夷の守護神の尊崇が厚かったと伝えられている。後世には根津賢物の守護ともいわれる」として、古くからこの地に鎮座した神社であるとする。

 ちょっと気になったのが、この北東側の字が「月崎」であることとの関連。
 というのは、飯坂の月崎の段丘地は比較的早くから集落が形成されたとされていることで有名らしいからだ。ここでは、飯坂南部土地区画整理事業に伴って、高舘遺跡・月崎A.B遺跡として調査されたようだ。
 今回「台山山麓散歩」で新たに意識しているのは台山に「東屋」のイメージを重ねているのだが、中野の「東屋国神社」の由緒が、この飯坂の月崎とオーバーラップしているようなのだ。

 「東屋国神社」は、一時信仰が薄れて存在すら分からなくなっていたのだとか。それが文化年間(1804~1818)に佐藤某氏によって月崎の築崎神社がそれだと比定されたということらしい。
 その築崎神社が何故東屋国神社なのかはよく分からないが、飯坂の月崎の地は当地方では比較的早くから集落が形成されたことに加え、先に整理した湯野西原廃寺、菩提寺に近いこと等々の関連から、この築崎神社が格式の高い神社と推定され、その推定が 「東屋国神社」であるという推定根拠らしいのだ。

 この紫神社は古くからの大社だったと強調されるのだが、このことと大笹生の月崎前に鎮座することを絡めて、「東屋国神社」に匹敵するような神社だったという地域の誇りのようなものを感じるのは、考えすぎかな。
by shingen1948 | 2014-12-21 05:41 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)