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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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三角山の散歩⑤―井野目の三井戸③

 平成21年(2009)にも井野目堰に関わってこの辺りを散歩している。
 「井野目堰⑤」の整理で、三角山手前に「紺野伴右衛門屋敷跡」という案内板があったことについてふれている。ただ。その時点では地元の人々にとっては、周智のことなのだろうが、よく分からないという状態だった。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7980999/
 その案内板は撤去されてもう無いのだが、今回「平野の伝承とくらし」の願外し経緯の記録に「紺野伴右衛門屋敷」とかかわる記載を見つけたので、関連付けておきたい。
a0087378_18103561.jpg 元井野目村の各集落では、井野目堰の山口庄右衛門氏の偉業と恩恵に感謝し、その大恩を忘れないようにするためその「願掛け」として、280年に渡って井戸を掘らなかったのだが、その願外しが昭和28年に完了する。
 その経緯に「去る昭和20年4月6日井野目村人紺野伴右エ門氏宅に相集まり神霊の学者石塚直太郎氏(四国生れ飯坂に転住す)同夫人石塚澄江殿を招き山口庄右エ門重久の霊魂を呼び出し聞き伝ふところ霊魂の曰く……」とある。
 この「紺野伴右衛門屋敷」で、昭和20年から昭和28年にかけて、その儀式とそれ以降の在り方について話し合われたのだろうと想像する。

 平成21年(2009)の散策では、「280年に渡って井戸を掘らなかった」事について、その熱意にとらわれて肯定的にしか捉えられなかった。
 しかし、当時の井戸は飲料水をも意味する。この村に生活する人々は、昭和20年代まで3つの古井戸で全村民の飲料水を賄うことを強要されていたということでもある。
 この「願掛け」は、その負の遺産をも背負っていたと見るべきなのだろう。
 そう視点を変えると、時代の要請と真摯な願かけとの調整には見事な合理性を感じる。

 どこか怪しげに感じたのは、神霊の学者が「山口庄右エ門重久の霊魂を呼び出し聞き伝ふところ霊魂の曰く」とある部分。
 それで、学者石塚直太郎氏の情報を検索してみた。
 すると「戦前期温泉地間競争と交通網の革新(上)名古屋大学論集第49 巻 第1 号】」に飯坂温泉にかかわりのある石塚直太郎氏が紹介されるのを見つける。
 経歴としては「研究家として天皇御陵の発見者」であり、「山陰水力・但馬電力・保坂鉄工所・月島・平井両鉄工所・千代田印刷・日本名物商工・湊鉄道・武相電軌・早川組等の」役員などを歴任していたと紹介される。
今のところ確実な根拠はないが、素人判断でこの方ではないのかなと思っている。
 この方は、当時の飯坂町・湯野村当局や温泉旅館の依頼によって「飯坂湯野温泉」(飯坂湯野温泉案内所,昭和2年)の編纂作業に携わっていらっしゃるようなのだ。
 この「飯坂湯野温泉遊覧案内」の石塚直太郎氏ならば、「鳴子温泉案内」・「天孫御陵発見始末」の石塚直太郎氏でもある。

 確実性は無いが「研究家として天皇御陵の発見者」と「天孫御陵発見始末」と「神霊の学者石塚直太郎氏(四国生れ飯坂に転住す)同夫人石塚澄江殿を招き」の情報に矛盾がなさそうにも思えるのだ。
by shingen1948 | 2014-10-29 18:13 | ◎ 水 | Comments(0)