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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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三角山の散歩⑤―井野目の三井戸②

 井野目では、井野目堰の山口庄右衛門氏の偉業と恩恵に感謝し、その大恩を忘れないようにするため井戸を掘らなかった。
 「井野目の三井戸」は、その「願掛け」以前から既に村にあった古井戸の事だが、前回「字山口」の井戸と「字中屋敷」の井戸についてふれた。
a0087378_14162927.jpg 昨日、福内集落辺りを散歩してみたら、集落道沿いに防火用水池があるのを見た。「字栗畑」の範囲に思えるので、かかわりがあるかもしれないなと思ったので写真を撮っておいた。

 曲屋集落紺野氏宅前の「字南山神」は、その集落名ともかかわるお宅前かな。
a0087378_14173375.jpg 「平野の伝承とくらし」によれば、このお宅は曲屋集落の大本家で、岩手県南部出身。南部の家屋は曲屋造りが特徴なので、屋号を曲がった鍵に屋の字を入れて曲屋としたと考えられるとのこと。
 この街道を通る大笹生のつけ木売りの人々にとって、その曲屋のお宅の石垣は思い荷を背負ったまま一休みするのに都合がよく、「曲屋のお宅」がこの辺りの指標になったと考えられているようだ。

 「平野の伝承とくらし」には、願外し経緯の記録が紹介されるのだが、こちらも紺野氏。
 願願外し後、「其換りに毎年春の彼岸の中日に元井野目村人相集まり先祖代々の各霊の念仏講がありますその時に山口庄右エ門重久の霊を弔ひ招き井戸掘りし家であるとて何事も障りなく子孫繁栄に続くように障害を解消する事に村一同して念仏を奏上する事に子孫に伝へて念仏を続行することに申し合わす 昭和28年3月録し伝説に遺す」とある。
 また、その経緯に、「去る昭和20年4月6日井野目村人紺野伴右エ門氏宅に相集まり神霊の学者石塚直太郎氏(四国生れ飯坂に転住す)同夫人石塚澄江殿を招き山口庄右エ門重久の霊魂を呼び出し聞き伝ふところ霊魂の曰く……」とある。

 
 今は撤去されているが、昔、三角山の手前に紺野伴右エ門屋敷跡の案内板が建っていた。
 その「井野目村人紺野伴右エ門氏宅に(全村民が)相集まりて」神霊の学者石塚直太郎氏(四国生れ飯坂に転住す)同夫人石塚澄江殿を招いて、山口庄右エ門重久の霊魂を呼び出したというのだ。
 観音山まで、この紺野伴右エ門屋敷とかかわりがあると仮定すれば、願外し後の元井野目村人相集まり、山口庄右エ門重久の霊を弔ひ招いて先祖代々の各霊の念仏講を行うことと、山頂の観音堂もかかわりがありそうだなと思うのは、散策人の勝手な想像。
   
by shingen1948 | 2014-10-27 14:19 | ◎ 水 | Comments(0)