人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

三角山の散歩⑦―飯坂古道とかかわって③―字「夜の星」②

 今回「字夜の星」が気になったのは、古くからここに沼があったという事が想像できるという事だ。
 「字夜の星」の周りには、街道との関係にかかわる字名と地形に関わることが想像できる字名がある。その地形に関わることが想像できる字名を拾えば、北側に「字南原」があり、その東側に「字小金塚」がある。そして、その東側にも原の付く字名が並んでいる。
 井野目村はその西南に広がるのだが、井野目堰ができる前まではただの原っぱで、大笹生村・佐場野村・入江野村の村界の共有地であったということだ。
 つまりは、「字夜の星」の沼は、各村界の原っぱの風景の中にあった沼だったということだ。風景的に西側の山々からの伏流水が供給されるのであろうことが想像でき、佐場野村の水源としての役割だったことが想像できる。

 井野目堰物語の中で、佐場野村はその開発にそれ程熱心ではなかったように描かれているのをみたことがある。
 それは、この貴重な「字夜の星」の沼の水源を佐場野村が保有していたこととかかわるのではないかなとの勝手な想像と結びつく。
a0087378_1117673.jpg ここが、夜の星伝説の地点だが、字夜の星と沼地が重なるとすれば、湿地帯はそこから南東に広がっていたということか。


 先の整理でも、夜の星伝説それ自体にふれてなかった。
 「平野の伝承とくらし」では以下のように紹介される。

 昔、このへんに小さな池がありました。池のほとりに赤松の古木がありました。背丈はそれ程たかくなく、笠松のようになって池にかぶさっていたといいます。今から(平成8年)30~40年前までは確かにありました。松がたおれ、今では池もなくなってしまいました。
 ここにあった池を「夜の星」と呼んでいました。その由来は医王寺の山門を入った所、左手南側の案内板に記されています。南殿の桜の小枝を折ってその池にかざせば、昼でも池の水面に星がキラキラ光って見えたと言うことです。
 この南殿の桜とは、案内板の立っている所にある太い桜であるといわれています。

 そもそも南殿の桜というのは、京都御所紫殿の前に植えられてあります。「左近の桜 右近の橘」というのがありますが、左近の桜が南殿の桜のことで、医王寺の太い桜も同じ種類の桜だそうです。
 この桜は、栽培される桜の一種で、枝は暗灰褐色で、葉・葉柄・花柄などに毛があり、花弁は12枚のなかば八重咲きで、里桜とチョウジ桜の雑種とされ山には自生していません。

by shingen1948 | 2014-10-24 11:20 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)