三角山の散歩⑤―飯坂古道とかかわって
2014年 10月 20日
特に、佐場野村と井野目村の村界道付近から「字夜の星」を経由して字界道を進んで、井野目村と入江野村の村界道を経由して大笹生に抜けて行く辺りの道筋。
その中でも、井野目村と入江野村の村界道を経由して大笹生に抜ける辺りの道筋が気になる。
先の村界を書き入れた字限図に、井野目村を中心とした集落界を書き入れて見た。更に、気になる井野目村付近の西海道も書き入れて見た。
西海道は、大笹生に向かうのに、村界の道筋を通る事になるのだが、気になる事の一つが、その村界が集落界と一致しないことだ。曲屋集落は、村界から南へもう一つの字を含んでいるのだ。
ならば、西海道の原形は、どちらの界を進むことになるのかということになるのだが、「飯坂古道」では曲屋集落界に近い道筋をイメージしていることが分かる。
先の「飯坂古道―大笹生~平野③」では、大笹生から進んできているので、「飯坂古道は、十六沼あたりからフルーツラインに重なって進んだあと、井野目の交差点の少し手前から、今の道筋よりやや南側を通って、曲屋の道筋につながっていたようだ」と表現するのは、この「飯坂古道」を参考にしているからだ。
http://kazenoshin.exblog.jp/10991987/
ただ、曲屋集落が現在の範囲に拡大するのが、井野目村と入江野村界の道筋の後の話なら、村界の道筋自体を西海道と見る見方もあるようにも思えるのだ。
「平野の伝承とくらし」によれば、街道沿いの石垣のある紺野宅が、曲屋紺野一族の大本家なそうで、集落で一番古い家なそうだ。このご先祖様が岩手県の南部出身とのことで、曲屋の語源にもなっているようだ。
この事を頭に入れながらやや古めの地図を確認し、古道と村界と集落界の道筋らしきものをなぞってみるとこんな感じだ。
その集落らしき部分を赤で囲ってみると、この時点でも集落としては井野目村と入江野村界を越えていないように思う。
ということで、古道と村界の道筋が重なるという見え方があってもよさそうにも思うが、些細な事ではあるな。