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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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三角山⑦―観音山⑥―山口庄右衛門重久碑⑤

 碑文は、山口庄右衛門重久顕彰碑で、佐場野原・大笹生原・入江野原などの原野に水を引き込んで水田開発をするために、井野目堰を作るのに功績があったのは、山口庄右衛門重久ということだが、井野目村誕生史とも読み取れる。
 小川の水を中野の堰場の崖下から水を引き込んで、3.5㎞の堰で水を送り、佐場野原・大笹生原・入江野原などの原野が開発された。
 その開発のためには、全体で218間(378㍍)もの長い隧道を掘り抜く必要があった。特に、難工事だったのが櫛ケ峰の真ん中に140間(258㍍)隧道を堀り抜くことだった。
 これは、13年もの年月を要する難工事だったが、この堰の完成で佐場野原・大笹生原・入江野原などの原野に150㌶の水田ができて、井野目村が誕生した。

 そう読み取ると、井野目村は近隣各村の原野部分を開発した村という位置づけになる。ならば、井野目村と佐場野村、大笹生村、入江野村の近隣各村との位置関係が気になるところだ。
 それで、字界図に井野目村・佐場野村・大笹生村・入江野村の村界図を重ねてみた。更に、その図に主要な字界道を重ねると共に、現在の地図と照らし合わせて主要な道路も重ねてみたのがこの図だ。
a0087378_77056.jpg  時期によって、その界は多少違うようで、現在の集落界と照らし合わせると、微妙なところで違いがあるようだが、散歩資料には使えると思う。
 なお、他の平野地域の村を平塚村と表現したが、ここは、この当時には飯塚村・平田村・天王下村・平田村飛び地に分かれていた。それ等の村が合併して平塚村になるのだが、それは井野目村が佐場野村と合併して井佐野村となる頃。
 その後、井佐野村は、隣の入江野村と共にこの平塚村とも合併して平野村になるという経緯のようだ。
by shingen1948 | 2014-10-13 07:10 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)