地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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三角山⑤―観音山④―山口庄右衛門重久碑③

a0087378_5463017.jpg 前回までに、その山口庄右衛門重久碑(頌徳碑) 前半の山口庄右衛門重久氏の紹介と中間の現井野目村に住した山口庄右衛門重久氏が井野目堰開拓に関わった事の紹介部分までを確認した。

 その後の碑文は、次のように読み取れる。
 開鑿用具尚在リ一覧富時ノ苦難ヲ推ス可シ而シテ惠澤廣大永ク数邑ヲ潤ス領主様二百石ヲ賞賜シ徳川幕府ニ至テモ家禄奮ノ如シ寛文年中重久福島ニ移リ貞享四年十二月廿四日歿ス享年七十八常光寺先塋(はか)ニ葬リ久山舜長居士ト謚シ天保九年大昌院ヲ追謚(ついじ)ス山口卯作ハ其裔也銘ニ曰ク
美彼田園  曽是荒原  溶溶渠水  君心血痕
十三年業  萬世富源  三角山下  舊(旧)起碑僅存
只署開祖  奈事蹟昏  滋磨貞珉  表彰餘恩
題者同祖  書者同門  嗟斯美擧  可勵後孫

大正十四年四月     長谷川一郎撰   山口卯作謹書之
                              佐藤喜平刻
(裏面)
設起者
平野村井野目堰水利組合
 後半の本文からは、山口重久氏の動向が読み取れる。
 山口氏の立場から「惠澤廣大永ク数邑ヲ潤ス領主様二百石ヲ賞賜シ徳川幕府ニ至テモ家禄奮ノ如シ」とするが、地域を散策する者としては「惠澤廣大永ク数邑ヲ潤ス」貢献部分と、その後、村を離れて福島に移る「寛文年中重久福島ニ移リ貞享四年十二月廿四日歿ス享年七十八常光寺先塋(はか)ニ葬リ久山舜長居士ト謚シ天保九年大昌院ヲ追謚(ついじ)ス」の記載に興味かな。

 「山口卯作ハ其裔也銘ニ曰ク」以下漢詩は次回の整理とする。
by shingen1948 | 2014-10-11 05:48 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)