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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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三角山③―観音山②

a0087378_6454323.jpg この頌徳碑が観音山側の三角山フルーツライン沿いに建つ。
 今回は、ゆっくり刻まれている内容を読み取る事ができなかったが、平野小学校の4年生の社会科学習資料「井野目堰」に、この頌徳碑(しょうとくひ)の全文が紹介されているのをみつけた。活字がつぶれていて不鮮明なので読みとれないところもあるが、現時点での読み取れたと思う部分を記録しておくことにする。事実と照らし合わせるともう少し読み取れそうだが、今回はそれらの操作を加えない。これに修正を加えながら、いつかは正しく再現してみたい。

 今の世の中は学力向上が大事と座学中心にシフトしている。この資料が現在も使用されているものなのかどうかは分からない。
 とりあえず、前半の山口庄右衛門重久氏を紹介される部分までの確認。
 頌徳碑
   山口庄右衛門重久碑銘  貴族院議員従2位勤三等子爵 山口弘達○○

 山口重久ハ、重嗣ノ孫重敏ノ子祖父ノ通称ノ如キ庄右衛門ト曰ク慶長15年信夫郡井野目ノ荘ニ生マル其先大内氏百済○琳○太子ハ其○タリ太子推古帝ノ19年来○帰化ス子孫防長諸州ヲ治スル凡900年31代任地尾州○○ニ移リ18代弘世ノ防州山口ニ城ヲ居○シニ禄○山口氏ヲ称ス○○○○重春重秋ヲ経テ重嗣ニ至リ慶長ノ初来ノ上杉家ニ仕エ此荘ニ住ス
 山口家の家系にかかわる記載で気になるのは、18代弘世から31代が尾州に移るまで「防州山口ニ城ヲ居○シニ禄○山口氏ヲ称ス」かな。
 社会科学習資料「井野目堰」では、この部分を小学生用に以下のように紹介する。
 山口重久は、祖父の名をついで庄右衛門といった。慶長15年(1610)信夫郡井野目村に生まれる。
 上杉家の家来としてつかえ、この村に住んでいた。
 「山口重久ハ、重嗣ノ孫重敏ノ子祖父ノ通称ノ如キ庄右衛門ト曰ク慶長15年信夫郡井野目ノ荘ニ生マル」の部分と「慶長ノ初来ノ上杉家ニ仕エ此荘ニ住ス」の部分を要点としているようだ。
by shingen1948 | 2014-10-09 06:48 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)