地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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三角山②ー愛宕山

 個人的には、愛宕山を中心とした三角山を意識していた。それは、井野目堰とのかかわりだ。
 昔、この辺りを井野目堰の佐藤庄吉氏に御案内頂く会に参加したことがあった。
 その時に御案内頂いた事を思い出し、その蘇った記憶を元に散策し直した事があった。写真を確かめたら、2009/11月のようだ。写真はあるが、その事について整理したものは見つからない。まだ整理していなかったのかも知れない。
a0087378_11231755.jpg これが、その時に三角山と意識した愛宕山と、その参道口の様子だ。
 ここに鳥居があって、そこをくぐって石段を登るのだが、その石段の右脇に井野目堰の山口庄右衛門氏の墓が建っている。
a0087378_11263319.jpg 記憶が曖昧だったので、確からしさに不安があったのだが、半沢氏の「歴史地図」に、「井野目村開基 山口庄右衛門(顕彰碑)久山舜長居士」とあることと比べることで解消した。
 井野目堰の開削者である山口庄右衛門氏が、「井野目村開基者」とされるのは、井野目村は、入江野村(入生野村)の原野であったところを、井野目堰の開削によって開かれた村であるということであり、その井野目堰は米沢藩給人の山口庄右衛門氏が小川上流の鬼越から引水したもので、正保4年から13年間要して万治2年に完成したこの堰により周辺の佐場野・大笹生・入江野村の原野が開発された(福島市史2)ということにかかわる。
 (顕彰碑)とあるのは、実際の氏の墓は、鷹峰山常光寺でにあり、ここは顕彰碑としての役割ということなのだろうと思う。

 不安が解消したのは、この石塔に刻まれた「久山舜長居士」が読めたことだ。

 ここから山頂まで行ってみようとしたのは、この山頂にその井野目堰供養碑が建っているという情報があったという井野目堰とのかかわり。
a0087378_11285891.jpg これは、山頂への途中の道筋だが、この道筋が観音山から続く道筋である事にこの時点では気づいていなかったと思う。
by shingen1948 | 2014-10-07 11:31 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)