阿保原地蔵尊⑤
2014年 09月 22日

その阿保原地蔵尊の祈願の仕方について「民俗学者・柳田國男の書で、阿保原地蔵の言い伝えが紹介される」と解説されていたが、「青空文庫」で確認できる。
民俗学者・柳田國男の書というのは、「木綿以前の事(柳田国男)」のことのようで、その全文が「青空文庫」のページに掲載される。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/53104_50767.html
阿保原地蔵の言い伝えがかかわるのが、その中の「女と煙草」の項だ。その項の最初から、阿保原地蔵の言い伝え辺りまでを引用させていただく。後半の太字部分が、阿保原地蔵尊の祈願の仕方とのかかわりと思われる。
女が煙草を吸うということは、そう古く始まった風習でないにきまっているが、奇妙に日本人の生活とはなじんでいる。このあいだも旧友の一人に逢って、その細君が小娘の頃、ひらひらの簪(かんざし)などを挿して、長煙管(ながキセル)をくわえていたことを思い出しておかしかった。この婦人の里は村の旧家で、広々とした囲炉裏の間にめったに人も来ず、それにおかあさんが心配の多い人で、始終煙草で憂いを忘れようとしていたらしいから、そのお相手をしていて覚えたのかと思われる。今一つの記憶は、これももう老婆になっている親類の家内が、嫁に来たときには私の家を中宿にした。どんなお嫁さんかと思って挨拶に出て見ると、それはそれは美しい細い銀煙管で、白い小さな歯を見せて煙草をのんでいた。こういう光景はもうおそらくは永久に見ることができぬだろうと思う。以下略すが、具体例として、信州北安曇郡の郷土誌から、北城村の切久保の鬼女と煙草の話、秋田県北部雪沢村の枝郷の黒沢部落の鎮守様が煙草嫌いだった話、蘇我馬子と関係づけられていた天然の煙草という意外な信仰の話等々がつけ加わる。
数年前に私の家のオシラ様を遊ばせに、奥州の八戸から来てくれた石橋おさだというイタコは、何がすきかと聴いたら煙草だと即座に答えた。この女は十五の年にはもう煙草を吸っていた。だんだんと眼が悪くなってきたとき、何とか院の法印さんが祈祷をしてやるから、煙草を断ちますという願掛けをせよと教えてくれたけれども、私は見えなくなってもようござんすからと謂(い)って止めなかった。そうしてついに巫(みこ)になったのだから、この女などは少しかわっている。
しかし私はこの話を聴いて、ふと気がついたことが一つあった。琉球の旧王室では、以前地方の祝女(のろ)の頭(かしら)たちが拝謁に出たときに、必ず煙草の葉をもって賜物(たまわりもの)とせられたことが記録に散見している。宮古や八重山の大阿母(おおあも)などは、危険の最も多い荒海を渡って、一生に一度の参観を恙(つつが)なくなしとげることを、神々の殊なる恩寵(おんちょう)と解し、また常民に望まれぬ光栄としていた。そういう人間の大事件を記念するものが、たちまち煙となって消えてしまう一品であったということは、何かまだ我々の捉え得ない隠れた力が、この陰にあったからであろう。それがこのおさだ子の話によって、少しずつたぐり寄せられるように、私には感じられたのである。
陸前の登米(とよま)で生まれた人の話に、この人の父は毎朝煙草をのむ前に、そのきざみを三つまみずつ、火入れの新しい火に置いて唱えごとをした。「南無阿保原(なむあほばら)の地蔵尊、口中(こうちゅう)一切(いっさい)の病(やまい)を除かせたまえ」と言って、その煙草を御供え申したのだそうである。阿保原の地蔵は刈田(かった)郡にあるというが、私はまだ詣(まい)ったことも無くまた書物などでも見たことがない。こういう信仰行事は他にもあることであろうか。もう少し例を集めてみたいものと心がけている。
そして、お神酒と煙草の恍惚感の心持の共通性から、地蔵様にお神酒と煙草をお初穂として供えようとする趣旨の共通性を考察し、香と信仰との年久しい習慣にも結びつけられそうだと結ぶ。
その後も、日本人のきれぎれの生活ぶりの注意深い観察から、強い感覚が何らかの形で表れているものを感じ取り、言葉として残らない深く古い体験の痕を読み取ろうとする試みが続く。
全体的におもしろそうで、はまって読み進めてしまいそうだが、確認は阿保原地蔵尊がかかわるここまでにする。